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コラム2/敷地の「ソト」に価値がある 

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 「家に帰ってほっとしたい」、「週末は家でゆっくり過ごしたい」という言葉が表すように、「家」という言葉にはプライベートな印象があります。そのためか、どうしても視点や発想が内向きで、家の設計を依頼する建主の多くは要望が家の中に集中しがちで、街に対する建ち方にはあまり関心がないように思います。要望をそのままかたちにしてしまうような設計者がいるとしますと、その設計者にも責任がありますが、その結果として、今の日本の街並みが出来上がっているように思います。個人の所有物である家は自由に建てることができますが、街をかたちづくる一部であることも忘れずに、その佇まいを大切に考えるべきだと思います。
 私たちが建主から設計を依頼された時は、まず、敷地境界の外側をよく観察するようにしています。敷地の周辺にどのような建物がどんな大きさでどのぐらいの密度で建っているのか、隣接して緑はあるのか、遠くに山は見えるか、並木が見えるか、畑が広がっているかなど、敷地の形や大きさ以上に周辺環境は建物を計画する際に大きな影響を与えます。また、敷地が都心の密集地か、郊外の住宅地か、あるいは別荘地かによっても建ち方は違ってきます。その結果、周辺環境に馴染ませるもよし、反対に主張するのもよいでしょう。何れにしても、その敷地だからこその魅力的な佇まいをつくるべきです。周辺環境のプラス要素は最大限活かすべきですし、マイナス要素があるならば、よく観察して解決していくべきです。建主の個別の要望ではなく、敷地の特性を把握して、その場所から導き出されるそこにあるべくしてある建築は例え住み手や用途が変わっても、そこにあり続けるものとなるでしょう。

コラム1/「イマ」の「ニッポン」に建てるということ

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 慣れ親しんだ日本から海外へ旅に出ると、誰もが無意識に日本との比較をしながらその国の特徴を感じ取っていくと思います。それは目に飛び込んでくる風景であったり、匂いであったり、音であったりと、五感で感じる全てのものが比較対象になります。そして、その特徴は歴史や文化、気候風土により様々にかたちづくられていますが、街のつくられ方や建物の建ち方も例外ではなく、特に気候風土により特徴が表われています。それは実際に足を運んで自分の五感で感じ取るのがいちばんですが、「建築家なしの建築 (バーナード・ルドフスキー著)」や「集落の教え100 (原広司著)」といった書籍を読むだけでも、ある程度は想像できると思います。砂漠のオアシスに建つ住宅、ヨーロッパの石で作られた住宅、アジアの集落など、それぞれの歴史や文化によって佇まいは異なりますが、気候風土による共通点もあります。例えば、気温が高くても湿度の低いところは日陰に入れば涼しいため、日陰のつくり方を工夫した建ち方になりますし、気温が高い上に湿度も高いところは、風通しを良くする建ち方になります。
 日本の多くの地域は温暖湿潤気候という気候区分に属します。夏は高温多湿で雨が多く、冬は気温が低く乾燥し、季節風の影響で四季のはっきりした気候と言われます。そのため、日本古来の建物には軒の深いものが多く、夏は強い陽射しを遮り、雨の日でも吹き込みを気にせず窓を開け放して風通しをつくり、同時に外壁を雨から守るしくみがつくられています。そして、その深い軒先は「縁側」という外でもあり内でもある日本独特の空間を生み出し、春や秋には窓を開けて屋外である庭を身近に感じて楽しみ、冬は窓を閉じて寒さを防ぎ、窓越しに陽だまりをつくります。しかし最近は、真夏日を超えて猛暑日が連日記録される夏が通常となり、春と秋の気持ち良い季節が短くなった気もします。このように変化してきている日本の気候環境において、住まいも少しずつ変わっていく必要があるかもしれません。
 21世紀は「環境の世紀」とも言われていますが、特に東日本大震災以降、エネルギー問題は国家レベルの話ではなく、一般市民の暮らしにおいても意識されるようなってきています。そもそも「もったいない」という言葉が表すように、多くの日本人は無駄づかいを好みません。このような時代において、気候風土がつくり出す豊富な森林資源、古来継承されてきた木造の技術、現代日本が誇る工業化の進んだ生産システムなど、普段あまり意識していない中に活用できることが日本にはまだたくさんあります。従来の日本の住まいのあり方からヒントを得つつも、「イマ」の「ニッポン」に建てるということを意識することが大切だと思います。
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