
お付き合いのある海外のクライアントから、日本文化についてのインタビューのご依頼をいただきました。いろいろな疑問を投げかけていただき、楽しくお話しさせていただきました。
しごと – 海外
お付き合いのある海外のクライアントから、日本文化についてのインタビューのご依頼をいただきました。いろいろな疑問を投げかけていただき、楽しくお話しさせていただきました。
謹賀新年
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
海外の広大な敷地にプライベートスパを設計するプロジェクトが進行中です。美しい湖畔の風景を眺められながらサウナとヨガ、食事、宿泊などができる施設です。今後、海外の仕事も積極的にやっていこうと思っております。
新しいプロジェクトの打合せのために、
電車に3時間ほど乗ってサンクトペテルブルクからモスクワへ。
こちらがドイツ製の新幹線。
パスポートチェックを受けて乗車します。
ロシアでは免許証はIDとしては認められていないようで、
ロシア人もパスポートは携帯しておくことが多いようです。
打合せは夕方に終わり、ディナーまでの数時間が観光タイム。
モスクワと言えば、やっぱり「赤の広場」。
そして、赤の広場に隣接するポクロフスキー聖堂(ワシリー寺院)。
個人的に気になるのは、赤の広場よりこちらの方。
1560年にイワン雷帝によって建てられた当時はドームは地味で、
現在のタマネギ形になったのは17世紀頃だそうです。
9つのネギ坊主は、それぞれひとつづつが教会になっています。
ちなみに、サンクトペテルブルクの「血の上の救世主教会」は、
こちらの建築が原型になっていると言われています。
「血の上の救世主教会」はRC造、1907年竣工と実はとても新しく、
ポクロフスキー聖堂は木造であり、技術的にも歴史的にも全く別物。
ポクロフスキー聖堂は迷路のような廊下沿いに、
小部屋がいくつもはいりついているといった印象です。
とは言うものの、多くの人が区別がつかない(?)この二つの建築を、
以前から、体感してみたかったので、見学できて大満足!
中心部の最も広いところがこちら。
突然、賛美歌が建物内に響き渡り、厳かな雰囲気に・・・
そして、こちらがモスクワ大学。
スターリン・クラシック様式の建築の中で最大規模で高さ236m。
ニューヨークの摩天楼にコンプレックスを抱いていたスターリンが、
1950年代に7つのビルを建て、スターリン・クラシック様式と言われていますが、
モスクワでの別名は「7姉妹」「スターリンのウエディングケーキ」。
学生の頃の教科書「建築史(市ヶ谷出版)」を読み返してみると、
「建設技術は近代化していながら、意匠は過去の様式によっている特有な様式である。
この過去様式の巨大趣味の建築を、
第二次大戦後の西欧近代建築家が、近代にあるまじきものとして批判した。
これに対してソビエトの建築家は、
何が美しいものかを決める主人公は建築家ではなく民衆であり、
民衆が好む様式を用いて設計するのが建築家の社会的責任であると反論した。
この反論の基になる美学理論は社会主義リアリズムと呼ばれるもので、
社会主義国家の芸術一般に共通した創作方法論である。」と書いてありました。
20年前、学生の頃に勉強したスターリン・クラシックも、
時が流れ、建築家になってから読み返す文章の受け止め方は違いますね。
いろいろと考えさせられます。。。
近くに寄ってようやく人がいることに気がつきます。
実際にその場に行かないと体感できないとは思いますが、
とてつもなく大きいことが認識できますか?
建築的には賛否両論ありますが、圧倒的な迫力です。
また、建築のデザインの社会的責任という意味を考えさせられました。
時間がないので車の中からですが、外務省。
こちらもスターリン・クラシック!
そして、こちらにも!
ところどころに点在しているのですが、見つけるとうれしくなります。
東京で東京タワーが見えた時の感覚に少し似ているような・・・。
そして、こちらはロシアアヴァンギャルドが生み出した唯一の住宅。
ロシア構成主義の建築家メーリニコフの自邸です。
こちらのメーリニコフ邸は普段は見れないのですが、
ロシア語で交渉していただいて、なんとか外観のみ見学させて頂きました。
こちらは1929年竣工で、同年に竣工した有名な建物として、
ミース・ファン・デル・ローエのバルセルナ・パビリオンなどがあります。
レンガ積みの躯体に木造の床という工法ですが、
円筒を二つ組み合わせた平面に、六角形の窓という現代においても斬新なもの。
この住宅は前述のスターリン・クラシックより、
20年以上前に竣工していることになります。
ロシアが世界をリードした束の間の時代の重要な建築ですが、
ソ連時代はメーリニコフは冷遇され、人生を終えたとのこと。
建築と政治は密接に関係しているとつくづく思いました。
モスクワはとても短い時間でしたが、とても新鮮でした。
共産主義の街と言えばそれまでですが、
建築関係者は見ておいて損のない街だと思いました。
アメリカのハイウェイのように幅の広い道路と、
スターリンクラシックのような超高層ビル。
そして、ロシアヴァンギャルドの建築。
社会主義という激動を乗り越えたモスクワは、
きちんと勉強してから見学すると面白いですね。
また、近々、モスクワに行くことになりそうなので、
きちんと歴史を勉強しておこうと思います。
サンクトペテルブルグに、施主打合せに行ってきました。
今回もフィンエアのヘルシンキ経由でしたが、
ヘルシンキからサンクトペテルブルク行きの飛行機が小さく、
大事な模型がギリギリ機内の棚に入らず焦りました。。。。
プレゼンテーションを無事終え、
次のステップに進むことになりました。
フィンランド湾に面した運河の街、サンクトペテルブルク。
数日の滞在でしたが、毎日のようにボートに乗せて頂きました。
やはり白夜と運河は最高です!
運河が街中を張り巡らされているので、
何通りもルートがあるようです。
白夜の旧市街を時速100kmで爆走です。
ぶつかったらご臨終のスピードですが・・・・
バレエやオペラの名門、マリインスキー劇場。
昨年は建設中だった新館も今年は完成していました。
次の日は打合せが予定より早く終わったので、
1時間程ボートに乗ってフィンランド湾の対岸まで行って夕食。
日本ではなかなかできない贅沢な時間の使い方ですね。
そして夕日を眺めながら、サンクトペテルブルクに戻りました。
こちらはクライアントがボートを停泊させているところで、
併設されたレストランから見える運河の風景も美しい。
「ロシアはご飯がおいしいですね」と通訳の人に言ったら、
「美味しいところにしか行ってないからね(笑)」とのこと。
ロシアにはどこに行ってもモデルのような美人と、
おいしいご飯というのは錯覚かも?
こちらはうなぎとパイナップルのSUSHI。
今回もたくさんSUSHIを食べましたが、どれも意外と美味しい。
日本人からすると不思議な食べ物ですが、かなりお気に入りです。
サンクトペテルブルクの詳細は昨年のブログを見て下さい。
そう言えば、NHKのロシア語講座の今年の舞台はサンクトペテルブルク。
ロシア語を勉強しようと録画はしていますが、そのままに。。。(笑)
ピョートル大帝の夏の宮殿、世界遺産のペテルゴーフ。
サンクトペテルブルの南西約30km、フィンランド湾に面した宮殿です。
この周辺にはこのような宮殿が建ち並んでいて、
MDSに依頼されたプロジェクトのひとつがこの近くにあります。
宮殿前広場から一段低くなったテラス両端に階段があり、
光輝く金箔の銅像が立ち並んでいます。
写真の手前の20mも水を噴き上げるライオンの口を引き裂いたサムソン像は、
対スウェーデン戦勝25周年を記念した1734年につくられたもの。
ライオンはスウェーデンの国章に描かれていることから、そのような像としたとのこと。
宮殿の頭もきらびやか!
軸線はフィンランド湾に向かって伸びています。
最初の噴水が出来上がったのは1721年。
これらの噴水はポンプなどを一切使わず自然の高低差のみを利用したもので、
22km離れた水源からまず、上の庭園まで水を引き、
パイプを使ってそこから16m下に水を落とすことで、水を噴き上げています。
宮殿の裏側の庭は、宮殿のものとしてはちょっと地味ですが、
現代人にとっては馴染みやすい庭です。
帝政ロシアのシンボルのイサク大聖堂。
高さ101.5mの世界でも最も大きな教会建築とも言われています。
設計者はオーギュスト・モンフェランというフランスの建築家で、
完成まで40年の歳月を費やし、1858年に竣工。
軟弱地盤のため、もともとあった教会の下の1万3000本の杭に加え、
さらに1万本以上の杭を打ち込み、その上に花崗岩や石灰岩を敷き詰めています。
この土台だけで5年が費やされたそうです。
聖堂の入口には四方あわせて48本の柱が建っていて、
高さ17m、直径1.8m、重さ114トンで、
これらの柱を建てるだけで2年かかったそうです。
高さ60mのところにあるドーム部分は回廊の展望台となっています。
センターの大きなドームの横のこちらの棟は階段室。
旧市街は高さ制限あるため、展望台から360度、街を見渡すことができます。
奥に見えるステンドグラスは「キリストの復活」。
頭上の直径25.8mのドーム。
現在は教会としてはしては使われていなくて、
博物館として利用されています。ちょと残念です。
血の上の救世主教会やイサク聖堂は今は博物館となっていますが、
カザン聖堂はサンクトペテルブルグにおけるロシア正教会の中心地。
1612年のポーランド軍撃退以来ロシアの守護神となった、
カザンのイコンを安置するために建てられました。
ロシアに侵攻したナポレオン率いるフランス軍を撃退した、
祖国戦争によって一時建設が中断され、1811年に完成。
その戦争の功労者である将軍が埋葬されていて、
フランス軍から奪った数本の軍旗と鍵が飾られています。
カザン聖堂の外観は、どことなくイタリアの教会を思い起こします。
それもそのはず、建築を命じたパーヴェル1世は建築家に、
バチカンのサン・ピエトロ大聖堂のような聖堂をと希望したそうです。
ロシア正教では珍しくカトリック風の列柱の回廊を持ち、
上から見ると十字架の形をしているので、
ロシア正教側からは難色を示したさそうです。
カザン聖堂は、サンクトペテルブルグの繁華街、
ネフスキー大通りに面しています。
ちょうどお祭りをやっていて、人でいっぱいでした。
滞在中はほとんどクライアントの車での移動しでしたが、
わずかなフリーの時間に地下鉄でこちらのモスクに行きました。
クライアントの一人にこのモスクを見るように言われたからです。
街の中心部からそれほど離れていませんが、
観光客は全くいませんでした。
内部を見上げるとこんな感じです。
モスクの入口は男女別々で、男性はこちらに入れましたが、
女性はこちらに入れず・・・・
2階の格子越しにしか、メインの大空間を見ることができませんでした。
西欧風の町並みを誇るサンクトペテルブルクにおいて、
ひときわ異彩を放つロシア風の「地の上の救世主教会」。
いわゆるネギ坊主が頭にのっているモスクワの赤の広場の南側に建つ聖堂、
ポクロフスキー聖堂(ワシリー寺院)と外見は似ていますが、
技術的にも歴史的にも全く異なっています。
「血の上の〜」とは、何ともおどろおどろしい名前ですが、
皇帝アレクサンドル2世が暗殺されたこの場所に、
1907年に 息子のアレクサンドル3世が聖堂を建てたことに由来します。
サンクトペテルブルク はもともと沼地で地盤が悪いのですが、
この建築物で初めて土台に杭を打たず、
また、コンクリートが使われた当時の最新の建築技術が使われたため、
内部空間は広くて明るいモスクワのポクロフスキー聖堂とは対照的。
ちなみに、ポクロフスキー聖堂は1560年、
対モンゴルの戦勝を記念してイワン雷帝によって建てられたもの。
ネギ坊主のアップです。
こんなに近くで見れるとは・・・・・
外装には宗教画の他に、ロシアの144の町、地域の紋章などが描かれています。
内装の宗教画はモザイクタイルです。
寒いロシア。窓ガラスが二重にした開口のデザインです。
上を見上げるとこんな感じです。