• Archive

コラム12/50,000㎡から50㎡へ

 家具デザイナーとして有名なチャールズ&レイ・イームズ。そのイームズ夫妻のショートムービー「Powers of Ten」を一度はどこかで観たことがあるのではないでしょうか?のどかな湖のほとりで昼寝をする男性を真上からとらえている映像から始まり、そこからどんどん上空に遠ざかって1億光年という壮大な宇宙の果てまで行き、そこから今度はどんどん近づいて元の映像を通り越し、男性の体内まで入り込んで素粒子レベルまで拡大されるというもの。定点観測でマクロの世界とミクロの世界がひとつながりに映し出される様子はとても興味深いところです。私たちに見えている風景にはマクロとミクロのどちらの方向にも未知なる世界が無限に広がっているという視点は、建築設計においても同様と言えるでしょう。
 「建築は住宅に始まり住宅に終わる」と言われますが、私たちが設計事務所を立ち上げて初めてのプロジェクトは、住宅ではなくオフィスビルでした。独立前は商業施設や生産施設といった規模の大きい建物の設計が多かったため、当時の私たちにとって床面積が1000㎡ほどのそのオフィスビルはとても小さいものでしたが、意匠、構造、環境、そして街並に配慮し総合的に考えたこのオフィスビルは、ゼネコン設計部から独立する上での卒業設計のようなものであり、私たちの設計事務所としての原点と言えるものでもあります。不思議なもので、住宅をメインに設計活動をしている今では、その1,000㎡のオフィスビルが大きく感じます。50,000㎡の商業施設と50㎡の小住宅ではどちらの設計が難しいのか、という比較は無意味なことで、どちらも全く違ったスキルと考え方が必要です。建築家の仕事の範囲は実に広く、都市計画、まちづくり、超高層建築から住宅、そして家具のデザインまで様々です。そのすべてを一貫して一人の建築家が設計することは現実には難しいことですが、どんな規模の建物を設計する場合でも、あらゆる視点、あらゆるスケールでのスタディが必要になってきます。
 大規模施設と住宅。その規模も用途も極端に違う建物の設計に携わった経験によって、私たちのマクロとミクロの両方の視点が磨かれたと思っています。そして、1000㎡の処女作王子木材工業本社ビルが、その二つの視点の分岐点となっているように思います。
付章.jpg

コラム11/上質な住まいに隠された「細部」

 近代建築の巨匠、ミース・ファン・デル・ローエの言葉に「God is in the details/神は細部に宿る」というものがあります。美しさと機能の追求はディテールの追求であるという解釈になりますが、細部までこだわり抜いた空間に実際に身をおくと、濃密で引き締まった空気を感じます。
 ミースが言いたかった正確なところはさておき、建築家はコンセプトにもとづく意匠だけでなく、住み手の様々な住まい方を想像して、「安全性」「快適さ」「使いやすさ」などにも気を配りつつ、如何に美しく設えるかを考え詳細をつめていきます。落下防止という目的ひとつとっても、機能を満たしながらも機能を感じさせない、さりげない手すりをデザインするなどはよい例です。何気なく感じる空間であっても、そこには実にたくさんの凝縮された工夫があるのです。細部まで緻密に考えながらも、それを感じさせないデザイン。そこではじめて上質な空間が得られるのです。
10章.jpg

コラム10/「暮らし」に息づく趣向

 設計者はどこまで住み手の暮らし方を想定して、細かいところまでつくり込むべきなのでしょうか?「住宅は“建主”のモノなので、あまりつくり込まずにシンプルな箱をつくり、引渡し後に“建主”が家を完成させていくべきです。」という声が時々聞こえてきますが、本当にそれでよいのでしょうか?建築家として住宅を設計するのであれば、それでは少し役不足なような気もします。確かに住み手の住み方によって空間はより素晴らしいものになりますし、建築家の自己満足でしかないプランより、シンプルな箱の方が空間に可能性がある場合もありますが、敷地から家具までシームレスにデザインするからこそできる空間もあります。建築家は住み手の5年後、10年後、あるいは住み手が変わった50年後をイメージしながら、どこまでつくり込むかの加減を見極めなければなりません。もちろん、イメージしたとおりに住み手は使わないかもしれませんが、様々なシーンを想定すること自体が大切で、その予想を遥かに超えて住み手が住みこなしていく可能性を持たせるべきだと思っています。
9章.jpg

コラム9/使い勝手を編み込む「間取り」 

 多くの建主にとって、「家」は街並やコンセプトといったものよりも「使いやすさ」が最も重要で、満足度に大きく影響します。そのため、設計する際にはこの「使いやすさ」について建主の要望に耳を傾けるのは至極当然のこととなります。一方で、建主の要望どおりの「使いやすさ」を織り込んだだけの住宅は、新鮮味のないものになりがちです。「使いやすさ」というものがこれまでの生活で慣れ親しんだものと同じであることが多く、例えばマンション住まいをしていた人が、「使いやすさ」だけを求めて自分の要望どおりにつくると、自ずとマンションの一室のようなものになってしまうというのはよくある例です。
 建築家は建主の言ったとおりにつくってくれないという話を聞きます。確かに建築作品をつくろうとだけ考えている人も少なからずいますが、建主に言われたとおりにつくる人もいて、むしろ、最近は建築家と名乗るそのような人の方が多いように思います。しかし、本来、建築家はその何れにも偏るものではなく、建主が要望していることはもちろん、要望していないことも含め、ありとあらゆる視点で実直に考え、より良いものを追求してこそ価値があるのではないでしょうか?そして、せっかく新しい暮らしをはじめるのであれば、これまでの生活の仕方や固定観念にとらわれずに、柔軟に「使いやすさ」を含めて空間を考えてみることが建主にも求められているのかもしれません。
8章.jpg

コラム8/影をいざなう「アカリ」  

仕事だ、学校だ、といっていると、一日のうちに家で過ごす時間は、案外太陽が沈んだ後の方が長いかもしれません。そんな日常において、家で過ごす夜の時間を豊かにするために、「アカリ」はおろそかにできません。
桂離宮の月見台や月波楼、高松の掬月亭など、名前に「月」のついた建築は数知れず、古来日本には月を愛でる文化があります。月明かりは闇があるからこそ引き立ち、その風情を感じることができます。今は街に光が溢れ、空を仰いで月を眺めることは残念ながら少なくなっています。もちろん、光がないと空間を捉えることはできませんが、全体が明るく影のない空間は、奥行きのない退屈なものとなってしまいます。空間に質感をもたらす陰翳をつくること、すなわち「影のデザイン」は昼夜を問わずとても大切なことなのです。
これまでの私たちの多くのプロジェクトで照明計画に携わっていただいているSIRIUSの戸恒浩人氏はこう語っています。「『照明デザイン』は、照明器具そのもののデザインではなく、建築のコンセプトや構成を理解した上で、建築に光を与えて魅せる照明計画です。昨今のLED照明の急速な進化と普及によって、照明計画も変化しています。LEDになって、器具の形や大きさの種類が増え、緻密な調光ができるようになり、その結果繊細な照明計画が可能になりました。一昔前の照明計画では省エネなどの経済性が重視されていましたが、現在では昼から夜への感覚的な変化や人間の感性に寄り添う計画が求められるようになりました。」
今後も新しい時代の夜の空間を模索していこうと思っています。
7章.jpg

コラム7/「素材」の持つ力を活かす

 素材は手ざわりや見かけといった点で住み手にとっていちばん身近なもので、好みの雰囲気をつくる上で欠かせないものです。同じ形をした空間であっても、どこにどのような素材を使うかによって全く異なったものになります。一方で、空間の大きさや明るさ、用途や性能といった要因でも素材の選択は変わってきます。素材選びは住み手が好みを直接表現できるところでありながらも、空間の質を大きく左右するものでもあるため、双方をすり合わせていくのに苦心することも少なくありません。「カタチ」がコンセプトに基づいて論理的に導かれるように、素材においては好みによるパッチワークに留まらない、素材の持つ力を活かした質の高い空間を引き出していきたいものです。木、コンクリート、鉄といった構造材も仕上の一部として効果的な役割を果たします。木は木らしく、木でしかできない表現を、コンクリートはコンクリートならではの、鉄は鉄らしくその特性を活かしたものをつくりたいものです。
 このように素材は実際の建築において大きな影響を与えるのですが、大学の設計教育の現場においては最終的な成果物として図面、模型、パースといったもので仮想の建築を表現するので、素材を考えて設計することは少ないと思います。実際には建たないものしか設計する機会のない学生の時は、むしろ、素材に縛られない自由な発想で建築を考えるトレーニングが大切と思う一方、素材が建築デザインに大きな影響を与えることも知っておいて欲しいと思います。
6章.jpg

コラム6/コンセプトが導く「カタチ」

  「形態は機能に従う」というモダニズムの巨匠、ルイス・サリバンの言葉や、構造の合理が形態と一致することを良しとする風潮がありますが、合理的なものが必ずしも美しいデザインにならないことがあります。言い換えると、説明のできない感覚的な部分も大切であり、合理の近傍に美しさがあるのかもしれません。
  私たちは図面や模型、パースなどによって、設計中はもちろん、工事中であってもスタディを繰り返しますが、そのすべての過程において「なぜ○○○なのか?」と問われた時に筋道を立てて説明できることは、多くの人が関わってできあがる建築の世界ではとても大切なことだと思っています。明快なコンセプトに基づいて論理的な思考によるスタディをすることで、建主をはじめ設計を一緒に進めるスタッフ、協力事務所、施工者の全員と進むべき方向性を共有することができるので、円滑にプロジェクトを進めることができます。そのようにしてできあがった建物は、その成り立ちが理解しやすく、説得力のある形態となります。ただ、デザインを論理的につめると言っても、そこにはもちろん設計者の感性や主観が入り込むため、例え着眼点が同じであっても、設計者によって全く違うものになります。つまり、論理的につめることと同様、設計者の感性も大切であり、どこまで論理的につめるかは最終的には設計者のさじ加減だと思っています。
5章.jpg

コラム5/ネコもつく「居場所」

 ネコは居心地のいい場所をよく知っています。陽だまりで目を閉じてうとうとする姿は実に気持ちよさそうで、徐々に移りゆく陽だまりを追うように、気が付くといつもそこに丸くなっています。本来、人もネコ同様、家の中にその時々に合わせて自分の居場所があることが望ましく、それは単なるの部屋の寄せ集めではありません。冬の陽だまりや夏の涼風をはじめ、明るさや広さ、床のレベル差や天井の高さ、柱、壁といったものをどのように配置するかなど、さまざまな要素を考慮してつくられます。
 内部空間は周辺環境や敷地の特徴、プライバシーの取り方などと強い関係にあります。さらに家の中には家族団欒の時、一人になりたい時、大勢の人を呼んでパーティーをする時、本を読む時、音楽を聴く時など、いろいろな場面があります。外部との関係と家の中で繰り広げられる様々な場面を掛け合わせて如何に多様な居場所をつくるかが、居心地の良い住まいの鍵となります。
4章.jpg

コラム4/家は「街との間」が大事

pojagi.jpg
 大自然の中であったり、建物が道路や隣家から遠く離れた広大な敷地でない限り、家の中のプライバシー確保は多かれ少なかれ必要になってきます。日常の生活をする上でプライバシーと採光の確保はいずれもとても重要な要素ですが、隣家が迫る都市住宅においてこの相反する両者を両立させることはとても難しく、塀で囲ったり、絶えずカーテンやブラインドを閉めることでプライバシーを確保し、日中も照明を点けることが多いのではないでしょうか。しかし、そのような状況は居住空間としてあまり良い環境とは言えません。日本では住宅の建て替えスピードがとても早く、将来を見越して周辺環境を読み込むことは非常に困難ですが、道路は50年先も恐らく道路であるといったように、ある程度は予測可能です。都市部の住宅において、明るく開放的、かつ、外からの視線を気にしないで過ごせる居住空間をつくるためには、敷地境界をよく観察し、平面および断面の構成に工夫を加えることが必要です。
 そして、プライバシーの確保と切っても切れないものが開口部(窓)で、その取り方により内部空間は全く異なったものになります。例えば、外の風景を印象的に切り取るピクチャーウィンドウ、壁の上部から光を取り込むハイサイドライト、床をなめるように照らす地窓など、様々です。一方で大きなガラス窓が好まれる場合もありますが、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃 」にもあるように、古来、日本では陰翳が好まれてきました。落ち着く空間にはある程度の暗さが必要で、技術的に全面ガラス張りの温室のような建物をつくることが容易になった現代においては、陰翳をどのようにつくるか、つまり「影のデザイン」が重要になってきています。明るさを追い求めるばかりで忘れていた陰影の空間を、新たなかたちで取り戻す時期に来ているように思います。

コラム3/「土地」に耳を澄ませば 

shirokane.jpg
 建物を建てる前に誰もがやらなければならない大仕事が、敷地を探すことです。多くの人はこんな場所にこんな家をという理想をもって、ある程度条件を設定して候補地を絞っていくと思いますが、なかなかイメージどおりに行かないのが現実です。理想に忠実な敷地はほぼないと思った方が良いでしょう。そして、そのイメージどおりの敷地に巡り合えなかった分を、設計の力で理想の住まいに近づけていくのが建築家の腕の見せどころです。
 敷地は実に様々なものがあります。例えば、傾斜地に建物を建てるということは、平坦な敷地に建てるということと全く異なる建ち方になります。また、敷地の形状も整形な場合、不整形な場合、細長い場合など様々で、それぞれの形状だからこその建ち方があります。更には道路付きが南か北か、あるいは角地か否か、そして目には見えないその土地の法規制にはどのようなものがあるかなど、例え敷地形状が同じであっても、そのバリエーションは無数にあります。
 設計をスタートさせる際は、まず敷地の中に立ち、まわりをよく観察します。次に道路側、可能な場合は隣地に立って外側から敷地を観察します。そして敷地のもつプラス要素とマイナス要素を整理します。敷地が狭い場合は、特に敷地境界を意識し、建物と敷地境界線の間のデザイン、すなわち、外部空間の設計を慎重に行います。敷地内における建物の内部と外部は、単に屋根があるかないかの違いでしかなく、どちらも並行して設計すべきものです。建物の内部を設計して、それ以外は敷地の余白部分という計画は、敷地を最大限生かしたものにはなりません。設計の初期段階は、敷地境界線を常に意識してスタディし、その土地の持つポテンシャルを最大限活かすことがとても大切です。

コラム2/敷地の「ソト」に価値がある 

cabbage.jpg
 「家に帰ってほっとしたい」、「週末は家でゆっくり過ごしたい」という言葉が表すように、「家」という言葉にはプライベートな印象があります。そのためか、どうしても視点や発想が内向きで、家の設計を依頼する建主の多くは要望が家の中に集中しがちで、街に対する建ち方にはあまり関心がないように思います。要望をそのままかたちにしてしまうような設計者がいるとしますと、その設計者にも責任がありますが、その結果として、今の日本の街並みが出来上がっているように思います。個人の所有物である家は自由に建てることができますが、街をかたちづくる一部であることも忘れずに、その佇まいを大切に考えるべきだと思います。
 私たちが建主から設計を依頼された時は、まず、敷地境界の外側をよく観察するようにしています。敷地の周辺にどのような建物がどんな大きさでどのぐらいの密度で建っているのか、隣接して緑はあるのか、遠くに山は見えるか、並木が見えるか、畑が広がっているかなど、敷地の形や大きさ以上に周辺環境は建物を計画する際に大きな影響を与えます。また、敷地が都心の密集地か、郊外の住宅地か、あるいは別荘地かによっても建ち方は違ってきます。その結果、周辺環境に馴染ませるもよし、反対に主張するのもよいでしょう。何れにしても、その敷地だからこその魅力的な佇まいをつくるべきです。周辺環境のプラス要素は最大限活かすべきですし、マイナス要素があるならば、よく観察して解決していくべきです。建主の個別の要望ではなく、敷地の特性を把握して、その場所から導き出されるそこにあるべくしてある建築は例え住み手や用途が変わっても、そこにあり続けるものとなるでしょう。

コラム1/「イマ」の「ニッポン」に建てるということ

NARUSE.JPG
.
 慣れ親しんだ日本から海外へ旅に出ると、誰もが無意識に日本との比較をしながらその国の特徴を感じ取っていくと思います。それは目に飛び込んでくる風景であったり、匂いであったり、音であったりと、五感で感じる全てのものが比較対象になります。そして、その特徴は歴史や文化、気候風土により様々にかたちづくられていますが、街のつくられ方や建物の建ち方も例外ではなく、特に気候風土により特徴が表われています。それは実際に足を運んで自分の五感で感じ取るのがいちばんですが、「建築家なしの建築 (バーナード・ルドフスキー著)」や「集落の教え100 (原広司著)」といった書籍を読むだけでも、ある程度は想像できると思います。砂漠のオアシスに建つ住宅、ヨーロッパの石で作られた住宅、アジアの集落など、それぞれの歴史や文化によって佇まいは異なりますが、気候風土による共通点もあります。例えば、気温が高くても湿度の低いところは日陰に入れば涼しいため、日陰のつくり方を工夫した建ち方になりますし、気温が高い上に湿度も高いところは、風通しを良くする建ち方になります。
 日本の多くの地域は温暖湿潤気候という気候区分に属します。夏は高温多湿で雨が多く、冬は気温が低く乾燥し、季節風の影響で四季のはっきりした気候と言われます。そのため、日本古来の建物には軒の深いものが多く、夏は強い陽射しを遮り、雨の日でも吹き込みを気にせず窓を開け放して風通しをつくり、同時に外壁を雨から守るしくみがつくられています。そして、その深い軒先は「縁側」という外でもあり内でもある日本独特の空間を生み出し、春や秋には窓を開けて屋外である庭を身近に感じて楽しみ、冬は窓を閉じて寒さを防ぎ、窓越しに陽だまりをつくります。しかし最近は、真夏日を超えて猛暑日が連日記録される夏が通常となり、春と秋の気持ち良い季節が短くなった気もします。このように変化してきている日本の気候環境において、住まいも少しずつ変わっていく必要があるかもしれません。
 21世紀は「環境の世紀」とも言われていますが、特に東日本大震災以降、エネルギー問題は国家レベルの話ではなく、一般市民の暮らしにおいても意識されるようなってきています。そもそも「もったいない」という言葉が表すように、多くの日本人は無駄づかいを好みません。このような時代において、気候風土がつくり出す豊富な森林資源、古来継承されてきた木造の技術、現代日本が誇る工業化の進んだ生産システムなど、普段あまり意識していない中に活用できることが日本にはまだたくさんあります。従来の日本の住まいのあり方からヒントを得つつも、「イマ」の「ニッポン」に建てるということを意識することが大切だと思います。
 .
 .