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30年前のサグラダファミリア

暇を見つけては昔撮ったポジフィルムをデジタル化して、Instagramの方に随時投稿しています。
30年前のサグラダファミリア。50代前後の人の卒業旅行で見たものはこんな感じだったと思います。改めて最近行った時の写真と見比べると全く違いますね。こちらの写真の方が古いものなのに、遠い未来の廃墟のようにも見えます。

 

ところで最近はどれくらいできてるの?という方がいたのですが・・・、驚くほど完成しています。下の2枚が5年前、2018年11月の写真。

そして、下の2枚30年前。廃墟のような写真です。

サグラダファミリアがつくり続けていることを知らなければ、30年前の写真は未来の廃墟にしか見えませんね?

 

TIME TRAVEL6・香港と上海_1992

周荘の集落調査の行き帰りに香港と上海に立ち寄りました。
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1992年の香港。まだ、ノーマン・フォスターの新しい空港ができる前の香港空港は、離着陸する間際に乗っている飛行機から自分が乗っている飛行機がビルのガラスに写り込むというのが有名でしたよね。夜の着陸はとても美しく、エキサイティングでした。
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最近、行ってないですが、今もこんな感じなんでしょうか?
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こちらが犯罪の巣窟、無法地帯と言われつつも話題のつきなかった立体スラム街、九龍城砦。1992年の頃はすでにネットフェンスで立ち入り禁止にはなっていましたが、怪しげな人がまだ出入りしていました。この数年後に、全て取り壊しされました。
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香港のこちらの集落調査をしているチームと合流。一学年下の後輩、建築家の高橋堅などがこちらの研究をしていました。香港郊外に円形ではない客家があるとのことで調査したようですが、客家とは直接は関係はないという話だったような・・・詳しくはわかりません。
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残念ながら、あまり上海の写真がないのですが、比較的に高いところ探して、、確かヒルトンホテルから外灘方向を撮った写真だと思います。超高層ビルはまだほとんどなく、和平飯店から川の向こうを見ると野原が広がっていたと思います。1992年当時、現在のように発展するとは全く想像ができませんした。。。

TIME TRAVEL 5・中国・周荘_1992

大学院の1年の時、研究室のみんなと周荘という小さな町の集落調査に行きました。上海と蘇州の間にあるその町は今はすっかり観光地ですが、当時は冷房のある建物は全くなくて、水しか出ないシャワーしかないようなところに寝泊まりしました。
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東洋のベニスとも言われる周荘、蘇州。蘇州は周荘のような町が都市化されたと考えられていていますが、周荘の周りにはこの町の原形のような集落が点在しています。
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この頃は、観光客は全くいない、とても静かな町でした。
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お店は数軒あるだけです。
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船に乗って、あちらこちらの集落の調査に行きました。
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子供たちは上半身裸で裸足で走り回っているようなのどかな農村。古い建物に混じって、コンクリート造の建物も建ちはじめていました。
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早朝の風景。この湖畔の宿に泊まりました。とにかく暑くて湿度が高く、蚊が多くて眠れず、、、、トイレもひどい状態でした(当時の中国のトイレ、ご存じの方も多いのではないでしょうか?はい、まさにそれでした!)。。。。そんなところでしたので、デリケートな人は次々と倒れていきました(笑)。とは言うものの、学生時代に友人たちと過ごしたこの経験は、とても貴重だったと思っています。

TIME TRAVEL 4・インド_1994

大学院を修了して就職直前の春、インドを1ヶ月放浪しました。デリーからスタートして、北部のシャンディガール、南下してアメダバード、ボンベイ(ムンバイ)、そこから北東の内陸、デカン高原のエローラ、アジャンタ、さらに北東のベナレス(ヴァーラーナスィー)、最後にカルカッタと電車とバスで移動しました。
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シャンディガールはル・コルビュジエがつくった近代都市に、ル・コルビュジエが設計した近代建築が点在しています。
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オスカーニーマイヤーのブラジルの首都、ブラジリアとよく比較されるシャンディガール。幅の広い直線の道をひたすらこのリクシャーで移動します。ちなみに、リクシャーは日本語の力車が語源とか?
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電動のリクシャーもよく乗りました。インドはどこに行っても、町中の移動はほとんどはこのどちらかでした。
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アメダバードにはステップウェルと呼ばれる地下水まで階段で降りられる美しい階段井戸があります。
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ル・コルビュジエの設計したインド綿工業館や、
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少し郊外へ行くと、ルイスカーンが設計したインド経営大学といった近現代の名作もあります。アメダバードからさらに南下してボンベイ(今のムンバイ)を経由して、北東の内陸のデカン高原へ。
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エローラの石窟寺院。山からくり抜いて作られているとのことですら驚きですね。
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こちらはアジャンターの600mにもおよぶ石窟寺院群。
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そして、さらに北東に大移動して、、、聖なるガンジス河での沐浴が有名なヴァーラーナスィー。
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異次元の世界が広がっていました。
そして、最後はカルカッタ。親が手足のない子供を道端に並べて物乞いしている地獄絵巻のような光景があちらこちらにあって、、、そんな写真は僕には撮れませんでした。インドはこれまでの地域とはまた大きく違った強烈なインパクトがあり、地球上にいろんなところがあると改めて思いました。そして、この1週間後、社会人となりました。

TIME TRAVEL 3・イスタンブール_1992

大学の卒業旅行は3ヶ月間の欧州放浪。そのスタートはイスタンブールでした。深夜に到着して、アヤソフィア、ブルーモスクまで歩いてすぐのところに泊まったのですが、、、早朝、スピーカーから流される大音量のコーランで目が覚めました。早速、イスラム文化圏の洗礼を受けました。
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早朝のブルーモスク。
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釣り人で埋めつくされた橋の先にモスク。モスクが入ると全てが特別になりますね。
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こちらの焼き魚、いい匂いがしたので買って食べましたが、、、よく見ると水が汚い。。。食べた後、少々心配になりました(笑)。
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夕方のイスタンブール。
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歴史のある美しい商店街。
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こちらはボスポラス海峡。あちら側がアジア、手前がヨーロッパです。イスタンブールに数日滞在後、あちら側の内陸部のカッパドキアへ行きました。

TIME TRAVEL 2 ・ベルリン_1992

激動のウクライナ情勢から目が離せませんね。僕が生まれた1968年はフランスの五月革命、プラハの春などのあった激動の年。そのプラハの春のソ連侵攻の映像を見ると悲しくなりますが、今回はそれどころではありません。ナチスドイツのポーランド侵攻か、時代背景を考えるとそれ以上です。
思い返せば、、、30年ほど前、ペレストロイカ、ベルリンの壁崩壊という流れで冷戦は集結して、世界中が明るい未来がくるというムード一色のいい時代でしたね。激変する前の東欧を見ておこうと思い、大学4年生の時にベルリンに行き、そこから南下して、ドレスデン、プラハ、ブダペストを巡りました。
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遠くに見えるのはブランデングブルグ門。その左側が東ドイツ、右側が西ドイツです。壁が崩壊して2年後の1992年春、このあたりの壁はすでに綺麗に壊されていました。
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ただ、少し中心部から離れるとこんな壁が残されていて、
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あちらこちらの緩衝地帯を警備員がパトロールしているような感じでした。
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実際の壁の有無にか関わらず、町が分断されていた痕跡はバスに乗ると一目瞭然。バス路線はその名残があって、壁があったことを感じさせる不自然な通り方をしていました。今はどうなんでしょうね?
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東ベルリン側のタワーから西ベルリン側を見た風景です。西へ一直線に伸びた道の真ん中あたりにブランデンブルク門が見えます。
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こちらは東側、東ベルリンの風景です。その後、ベルリンに行っていないのですが、きっと大きく変貌していることでしょう。
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東ベルリンにはシンケルの新古典主義の巨大建築などが建ち並び、決して西側に見劣りするものではありません。写真はシンケルの代表作アルテス・ムゼウム。一方、西ベルリンにもベルリンフィルやミースの名建物などもあって、それらを見学したのですが、、、、なぜか写真が一枚もありません(涙)。その後、ベルリンは大きく変わったようなので、ぜひ、もう一度行ってみようと思っています。
連日、ブランデンブルク門の前での反戦デモの映像が流れています。ドイツ人にとっては東西分断の負の歴史を痛感しているからこそのデモなのだと思います。一刻も早く、良い方向に向かって欲しいですね。

TIME TRAVEL 1 ・サハラ_1993

学生時代に撮った30年前のポジフィルムをデジタル化。その写真をアップロードして時間遡行する記事の第一弾はサハラ砂漠。印象に残る旅先の風景の一番を選ぶのは難しいですが、緑と四季の変化が美しい日本で生まれ育った日本人にとって、緑も水もなく生物が全くいない無音の砂漠はかなりの衝撃でした。
モロッコを旅行するのは今でこそ珍しいことではないとは思いますが、30年ほど前はまだ情報が少ない未知なる世界。東大の研究室などがすでに世界中の集落調査をしていたのでアルジェリアやモロッコなどのサハラ以北の国々の情報もわずかながら入ってきていましたが、周りにはサハラに行ったことがある人はいなくて、「カサブランカ」や「シェルタリングスカイ」といった映画などで、モロッコに行ってみたいという欲望が湧いてきました。
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ただ、アフリカ大陸にいきなり飛行機で降り立っても盛り上がりに欠けるので、、、、緑と水の豊かなスコットランドから南下して、フランス、ポルトガル、スペインを経由した後、ジブラルタル海峡を船で渡ることにしました。コルドバ、グラナダあたりはすでにイスラムの影響を強く受けていましたが、海を渡ったタンジェという港町についた瞬間、これまでに経験したことがない別世界が広がっていました。イスラム独特の強烈な熱気と写真では表現できない喧騒と匂い、前の年に行ったトルコとはまた違ったかなり怪しげな街でした。タンジェに夕方に着いてしまったというのもそもそも大きな失敗だったのかもしれませんが、アンダルシアの長閑な雰囲気から一変、船から降りるや否や四方八方からバックと手を大勢の客引きに引っ張られ、、、、それを振り張って、夜行列車に飛び乗りこの街を脱出しました。東洋人はもちろん、ノー天気な西洋人の観光客もほとんどいない、かなり怪しげな雰囲気が漂っていました。後から現地のJAICAの方から聞いたのですが、ちょうどその日もJAICA職員が襲われたとのことで犯罪の多い町だったようです。。。
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翌朝、マラケシュという大きな町に着きました。タンジェに比べると幾分落ち着いた町でしたが、そこも驚きと不安で一杯になる刺激的なところでした(笑)。マラケシュはモロッコ有数の観光地なので欧米のツアー客も大勢いて、タンジェに比べると恐怖を感じることもないのですが、バザールで一人になった瞬間、一眼レフで写真を撮るのは少々物騒な雰囲気はありました。あまりのんびり観光しなかったので、また是非行ってみたい町の一つです。
ここまでは(そこから先もですが・・・)全くノープランで来たのですが、たまたま町中で日本人数人を見かけ、僕が運転するのでレンタカーを割り勘で借りないかと誘って、サハラ砂漠に一緒に行くことになりました。。。
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借りたのはオンボロのルノーで少々心もとなかったのですが、なんとかアトラス山脈を超えて、少しずつ砂漠に近づいてきたような風景になってきました。
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アトラス山脈の南、土漠を東西に横断するカスバ街道。まっすぐの道をひたすら東に走ります。
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車で数時間走るとオアシスがあって、そこに緑と水があるので集落があるという感じです。そこで休憩しながらそんな集落に泊まりました。情報があまりないので、常に行き当たりばったりです。。。きちんとした地図もなく、カーナビも携帯もなかったのにどうやって旅行したのかよく分かりませんね。。。
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土漠を南下すると少しずつ砂が混じったエリアになって行きます。さらに南下すると砂の割合が増えていき、僕では運転が難しくなり、途中で道案内を雇って、最終的には運転も変わってもらってパリダカラリーのような感じになりました。不思議と(?)砂で埋まるところにチップ目当ての男たちが待機していて車の後ろを押してもらう、、、それを繰り返しながら、、、、
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ついに砂漠に到着!歩いて砂の山も越えるとこの風景です!
そこには風の音だけが聞こえる今まで体感したことがない世界が広がっています。緑も水もない世界は日本人にとっては衝撃でした。鳥も虫の音も聞こえないないのですから・・・・。夕方、日没してどんどん暗くってくると、背筋が凍りつく感じになってきました。ここで砂に埋められてしまったらこの世から自分が消されてしまうというような恐怖感も感じたのか?単に自然の美しさに感動したのか分かりません。その時が今までで一番、自然を強烈に感じた瞬間でした。
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その後、北上して地中海沿岸に戻って、フェズといった美しい町をいくつか街を訪れました。カサブランカにもいきましたが、すでにガラス張りの高層ビルが建ち並ぶ近代都市で、フェズこそがまさに映画「カサブランカ」のイメージ通りの町でした。
モロッコではレンタカーだけでなく、ヒッチハイクもしながら移動しました。今、思えば非常に危険なことをしたように思いますが、平和な時代だったのですね。ロードムービーでヒッチハイクするシーンは見慣れていたので、あまり抵抗がなかったような気がします。勿論、大丈夫そうな人に頼んで乗せてもらっていましたが・・・・
ちなみに、、、砂漠のように人がつくったものがない神ががった美しさは、海の中、雲海に浮かぶ山々でも大きな感動をした経験があります。私たち人間が作り出すものは、所詮、自然界の美しさを越えられないと感じました。そして、そのMoutain、Desert、Sea の3つの頭文字をとったのがMDSの語源とか?そうでないとか??

TIME TRAVEL・風景の一部になっていた箱の中身

先日、スペインの建築家リカルド・ボフィール訃報のニュースがありましたね。30年ほど前にスペインの彼のオフィスまでわざわざ見学に行ったのを懐かしく思い、すっかり本棚の見慣れた風景になっているポジフィルの入った箱を久しぶりに開けてみると、、、、タイムスリップしてしまいました。
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コンクリート工場をコンバージョンしたリカルド・ボフィールのオフィス。
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確かバルセロナ?の郊外で公共交通機関がなくてかなりの距離をひたすら歩いたような記憶があります。この頃はインターネットなどは勿論なくて、道端の人に聞いて教えてもらった方向に歩き、そしてそれが間違っていて、、、、とそれの繰り返し。とても大変でしたが、その途中でいろんな発見がありました。
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今となっては日本でも古いものを生かすことや緑に囲まれた郊外のオフィスなど、だいぶ一般的になってきましたが、これが30年以上前ですからねー。素晴らしいですね。
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こちらはパリ郊外のボフィールが設計した集合住宅。
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こちらは近未来映画の未来世紀ブラジルにも使われた集合住宅です。絵になる共用空間ですね。。。この自転車に乗った子供たちと仲良くなって、家の中に入れてもらえないかと親に頼んでもらい、めでたく中に入ることができました(笑)。その頃、世界中は良い方向に向かっていたからか、あるいは日本人が珍しくイメージも良かったからか、ここに限らず調査、見学と言って建築学科の若者の特権?で、あちらこちらに入れてもらえました。今の若者もそんな特権は使えるのかなあ?
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30年ほど前の建築学科の学生はポジフィルムで写真を撮ることはそれほど珍しいことではなく、いつでもスライド上映できるようにしてありました。学生の時だけでも、アメリカ、メキシコ、韓国、香港、中国、マレーシア、インド、ロシア、トルコ、東西のヨーロッパ、モロッコなどを旅行したので、膨大な写真があります。今とは全く違った世界各国の写真もあって、このままお蔵入りしているのも少々勿体無いような?まさかこんなデジタルの時代になるとは、当時は全く思ってもいなかったですね。。。
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こちらはRIAのテロ直後、ロンドンのシティ。その頃の日本はテロとは無縁の平和な?バブルでしたから、、かなりの衝撃を受けました。シティ全体がこんな感じだったのに、このビルの目の前のリチャード・ロジャースが設計したロイズ・オブ・ロンドンはなぜか無傷でした。
この他にも大学の研究室のみんなと行った中国の水郷集落の調査、今のように発展する前のインドや中国の風景、ヒッチハイクとレンタカーでアトラス山脈を越えてサハラ砂漠に行った時の写真などなど、面白い写真はたくさんあります。
例年、この時期は大学の卒業設計の講評会と海外旅行という感じでしたが、今年もまだ海外には行けませんね。こちらのブログはもともと旅行ネタが多いので、コロナ禍ではどうしても更新頻度は下がってしまいますね。ということで、今後そんな写真をアップしていこうと思います。