激動のウクライナ情勢から目が離せませんね。僕が生まれた1968年はフランスの五月革命、プラハの春などのあった激動の年。そのプラハの春のソ連侵攻の映像を見ると悲しくなりますが、今回はそれどころではありません。ナチスドイツのポーランド侵攻か、時代背景を考えるとそれ以上です。
思い返せば、、、30年ほど前、ペレストロイカ、ベルリンの壁崩壊という流れで冷戦は集結して、世界中が明るい未来がくるというムード一色のいい時代でしたね。激変する前の東欧を見ておこうと思い、大学4年生の時にベルリンに行き、そこから南下して、ドレスデン、プラハ、ブダペストを巡りました。
遠くに見えるのはブランデングブルグ門。その左側が東ドイツ、右側が西ドイツです。壁が崩壊して2年後の1992年春、このあたりの壁はすでに綺麗に壊されていました。
ただ、少し中心部から離れるとこんな壁が残されていて、
あちらこちらの緩衝地帯を警備員がパトロールしているような感じでした。
実際の壁の有無にか関わらず、町が分断されていた痕跡はバスに乗ると一目瞭然。バス路線はその名残があって、壁があったことを感じさせる不自然な通り方をしていました。今はどうなんでしょうね?
東ベルリン側のタワーから西ベルリン側を見た風景です。西へ一直線に伸びた道の真ん中あたりにブランデンブルク門が見えます。
こちらは東側、東ベルリンの風景です。その後、ベルリンに行っていないのですが、きっと大きく変貌していることでしょう。
東ベルリンにはシンケルの新古典主義の巨大建築などが建ち並び、決して西側に見劣りするものではありません。写真はシンケルの代表作アルテス・ムゼウム。一方、西ベルリンにもベルリンフィルやミースの名建物などもあって、それらを見学したのですが、、、、なぜか写真が一枚もありません(涙)。その後、ベルリンは大きく変わったようなので、ぜひ、もう一度行ってみようと思っています。
連日、ブランデンブルク門の前での反戦デモの映像が流れています。ドイツ人にとっては東西分断の負の歴史を痛感しているからこそのデモなのだと思います。一刻も早く、良い方向に向かって欲しいですね。