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新学期が始まりました@東京理科大学

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東京理科大学の設計の授業に行ってきました。
例年通り、各講師の自己紹介でしたが、学生の前での自己紹介は3年ぶり。やっぱり、学生の反応を見ながら話ができる方が良いですね。今年の2年生はかなりの定員オーバーとのことで、150人を10人の先生で指導するのですが、こんな感じで2階まで溢れかえっています(換気の良い場所で、レクチャー中はおしゃべりをしない真面目な学生ばかりなので全く問題ありません)。
では、皆様、頑張っていきましょう!

表参道の桜も満開

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青山で桜と言えば青山霊園が有名かも知れませんが、MDSの事務所のある表参道駅周辺は桜はあまりありません。事務所から一番近いのはアニエス・ベーの前の桜で、向かいのカフェ・マデュのテラス席から桜を眺めながらのランチがお気に入り。
あとは、根津美術館の一つ手前の交差点、安藤さんが設計したコロッツィオーネの向かい、From1stの斜向かいにも桜があります。From1stの1階のフレンチレストラン、フィガロからの桜もオススメです。

ホワイトデー@MDS

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MDSの事務所の近くのJEANCHARLES ROCHOUXのチョコレート。スタッフからのホワイトデーのお返しを皆でいただきました。媛小春が二つぶずつ並んでチョコレートに包まれているタブレット。みずみずしい柑橘とチョコの組み合わせが新鮮でとても美味しい!

TIME TRAVEL6・香港と上海_1992

周荘の集落調査の行き帰りに香港と上海に立ち寄りました。
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1992年の香港。まだ、ノーマン・フォスターの新しい空港ができる前の香港空港は、離着陸する間際に乗っている飛行機から自分が乗っている飛行機がビルのガラスに写り込むというのが有名でしたよね。夜の着陸はとても美しく、エキサイティングでした。
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最近、行ってないですが、今もこんな感じなんでしょうか?
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こちらが犯罪の巣窟、無法地帯と言われつつも話題のつきなかった立体スラム街、九龍城砦。1992年の頃はすでにネットフェンスで立ち入り禁止にはなっていましたが、怪しげな人がまだ出入りしていました。この数年後に、全て取り壊しされました。
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香港のこちらの集落調査をしているチームと合流。一学年下の後輩、建築家の高橋堅などがこちらの研究をしていました。香港郊外に円形ではない客家があるとのことで調査したようですが、客家とは直接は関係はないという話だったような・・・詳しくはわかりません。
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残念ながら、あまり上海の写真がないのですが、比較的に高いところ探して、、確かヒルトンホテルから外灘方向を撮った写真だと思います。超高層ビルはまだほとんどなく、和平飯店から川の向こうを見ると野原が広がっていたと思います。1992年当時、現在のように発展するとは全く想像ができませんした。。。

TIME TRAVEL 5・中国・周荘_1992

大学院の1年の時、研究室のみんなと周荘という小さな町の集落調査に行きました。上海と蘇州の間にあるその町は今はすっかり観光地ですが、当時は冷房のある建物は全くなくて、水しか出ないシャワーしかないようなところに寝泊まりしました。
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東洋のベニスとも言われる周荘、蘇州。蘇州は周荘のような町が都市化されたと考えられていていますが、周荘の周りにはこの町の原形のような集落が点在しています。
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この頃は、観光客は全くいない、とても静かな町でした。
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お店は数軒あるだけです。
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船に乗って、あちらこちらの集落の調査に行きました。
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子供たちは上半身裸で裸足で走り回っているようなのどかな農村。古い建物に混じって、コンクリート造の建物も建ちはじめていました。
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早朝の風景。この湖畔の宿に泊まりました。とにかく暑くて湿度が高く、蚊が多くて眠れず、、、、トイレもひどい状態でした(当時の中国のトイレ、ご存じの方も多いのではないでしょうか?はい、まさにそれでした!)。。。。そんなところでしたので、デリケートな人は次々と倒れていきました(笑)。とは言うものの、学生時代に友人たちと過ごしたこの経験は、とても貴重だったと思っています。

TIME TRAVEL 4・インド_1994

大学院を修了して就職直前の春、インドを1ヶ月放浪しました。デリーからスタートして、北部のシャンディガール、南下してアメダバード、ボンベイ(ムンバイ)、そこから北東の内陸、デカン高原のエローラ、アジャンタ、さらに北東のベナレス(ヴァーラーナスィー)、最後にカルカッタと電車とバスで移動しました。
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シャンディガールはル・コルビュジエがつくった近代都市に、ル・コルビュジエが設計した近代建築が点在しています。
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オスカーニーマイヤーのブラジルの首都、ブラジリアとよく比較されるシャンディガール。幅の広い直線の道をひたすらこのリクシャーで移動します。ちなみに、リクシャーは日本語の力車が語源とか?
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電動のリクシャーもよく乗りました。インドはどこに行っても、町中の移動はほとんどはこのどちらかでした。
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アメダバードにはステップウェルと呼ばれる地下水まで階段で降りられる美しい階段井戸があります。
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ル・コルビュジエの設計したインド綿工業館や、
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少し郊外へ行くと、ルイスカーンが設計したインド経営大学といった近現代の名作もあります。アメダバードからさらに南下してボンベイ(今のムンバイ)を経由して、北東の内陸のデカン高原へ。
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エローラの石窟寺院。山からくり抜いて作られているとのことですら驚きですね。
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こちらはアジャンターの600mにもおよぶ石窟寺院群。
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そして、さらに北東に大移動して、、、聖なるガンジス河での沐浴が有名なヴァーラーナスィー。
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異次元の世界が広がっていました。
そして、最後はカルカッタ。親が手足のない子供を道端に並べて物乞いしている地獄絵巻のような光景があちらこちらにあって、、、そんな写真は僕には撮れませんでした。インドはこれまでの地域とはまた大きく違った強烈なインパクトがあり、地球上にいろんなところがあると改めて思いました。そして、この1週間後、社会人となりました。