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「三養荘」の特別室・初音

今回、私たちが泊まったのは村野藤吾が設計した新館の特別室「初音」。この部屋は文字通り三養荘の数ある部屋の中でも特別なお部屋。平成天皇も10年ほど前、こちらにお泊りにならたそうで、そんなお部屋に平民が泊まっていいものか?と少し恐れ入ってしまいます。
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この長い廊下の先にはあるのは「初音」の一室だけ。
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このさりげない照明が、
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このような美しい明暗をつくっています。「初音」に泊まる人だけのアプローチ空間にある「おもてなし」です。
そして、ここを右に曲がって数段上がったところに、
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ようやく「初音」の入り口があります。扉には竹が埋め込まれています。
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こちらが13畳の広間です。
ところで、和歌の世界では「本歌」「本歌取り」といった言葉があるようですが、日本建築、特に茶室の世界でも「本歌取り」「写し」といった文化があります。以前は、パクリと何が違うのか?と思っていましたが、「本歌」となるのは一流のものですから教養がある人はその本歌を当然知っているのが前提。つまり写す人のセンスを問うものであって、パクリか否かを議論するのはナンセンス。近代以降の日本建築の「本歌取り」の名人と言えば村野藤吾。この三養荘にも「写し」方を学べるところが満載です。
茶室に詳しい方は、この部屋が何の写しかすぐにわかるのではないでしょうか?二畳の床と言えば、、、そうです。「残月写し」です。利休がつくった色付九間書院を小庵によって少し規模を縮めて復興され、のちにそれが「残月亭」と呼ばれるようになったのですが、現在の表千家の「残月亭」は1910年に復興されたもののようです。堀口捨己の八勝館「残月の間」など、日本中に有名な「残月写し」はあると思いますが、村野藤吾にも「残月写し」がたくさんあります。村野流に少しづつ変化していく「写し」を見比べると、村野藤吾の試行錯誤が垣間見えてとても面白いですね。三養荘が遺作ということは、ある意味こちらが集大成ということになると思います。あと、ここの格子の天井は金沢成巽閣の「群青の間」の写しとも言われています。
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この部屋の他に8畳と6畳の部屋があって続き間になっています。
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その外側に入り口から続く広縁がぐるりとあり、その外に庭が広がっています。
これらの部屋とは別に広々とした化粧部屋や内風呂などがついています。
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ゆったりとくつろげる空間です。
畳に座るのが苦手な人には嬉しいスペースかもしれません。
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こちらは茶道口から床を見たところ。一歩中に入ると・・・
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網代天井に黒い金物がありますので、お点前はこちらで。
本歌「残月亭」の一段上がった床に畳が2枚敷いてありますが、
こちらはこのような踏込床になっていて、その先に洞床があります。
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広縁の突き当たりの網代の扉を開けると、こちらに出ます。
円形窓の右側に竹のスノコの月見台があるはずですが・・・・
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竹挟みの濡れ縁と竹のスノコが重なりあう兼六園「夕顔亭」の写しがあるはずでしたが、、、竹のスノコがありません!月を眺める人もいないでしょうし、維持管理が大変なのでしょう。。。
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こちらの部屋には広々とした温泉の内湯もついています。
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遠くに見えるのが、初音のお部屋。この広大な庭も独り占め。
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この小川はこの先の山のから流れていると思っていましたが、
夜はこの流れが止まっていたので人工的なものなのですね。。。
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日が暮れると障子が行灯のようになり、これまた風情がありますね。
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三養荘は村野藤吾の遺作ということは多かれ少なかれお弟子さんが設計監理しいるからか、建築界では桂水園の方が評価が高く有名だと思います。ただ、インテリアや照明の完成度はこちらの方が高いののではないでしょうか?
旅館ならではの「おもてなし」という点では運営はプリンスホテルなので、どことなくホテルチェーンの一つの旅館という印象を受けました。それは京都の佳水園も都ホテル(今や外資のウエスティン)の和室に過ぎないので、以前、泊まった時に同じような印象を受けました。きめ細やかな「おもてなし」をするには、ここは規模が大きすぎですね。何はともあれ、いろんなことをあれこれ考えさせられた貴重な一泊でした。

春の越前を駆け抜ける

福井県はやや存在の薄い県の一つだと思いますが(すみません!)、
古くは北前船の湊町として、今は越前ガニの漁港として知られる三国や、
越前和紙、鯖江のメガネ、コシヒカリといった日本一のものも多く、
意外にも(?)存在感のある県ですね。
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金沢からレンタカーで最初に向かったのが東尋坊。
なぜかサスペンスドラマの舞台によくなるところですが(笑)、
マグマからできた火成岩の一種の輝石安山岩が柱のような状態で、
約1キロ広がっている素晴らしい風景です。
ここ以外にはノルウェーと朝鮮半島くらいしか見られない珍しいものらしい。
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その後、少し車で南下して三国港エッセル堤へ。
土木学会選奨土木遺産というものにもなっているようですが、
オランダ人工師エッセルが設計した明治初期を代表する港湾施設で、
東尋坊の石でできるようです。
釣りをしている人がいましたが、観光している人は誰もいません(笑)。
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そして、三国の中心部の旧森田銀行本店へ。
こちらは大正9年(1920年)に建てらた国の登録有形文化財。
こちらの改修工事は大学時代の友人、林田君が関わったようです。
彼は大学卒業後、ずっと地元で設計していますが、いい経験をしていますね。
この建物の細かなところ見ていると三国が豊かだったことが伝わってきます。
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そして、旧岸名家住宅へ。
ここも三国の繁栄の象徴的な建物です。
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北前船に乗せた三国箪笥、豪華な三国仏壇なども置いてありました。
三国箪笥の説明を聞いていると・・・「ブラタモリ」で見たような(?)。
聞くと、、、、やはり出たようです(笑)
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防犯上、夜はこのように締めていますが、
ロープを引いて重い大きな扉を開けると・・・・
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このようになります。
床は「笏谷石(しゃくだにいし)」と言って非常に高価な石で、
床全面に敷き詰めているのは豪商の証らしい。
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「笏谷石」のアップはこんな感じ。美しい石ですね。
そして、急ぎ芦原温泉「つるや」へ。
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次の日、昼前に芦原温泉を出発して、大瀧神社へ。
藤森照信氏によると「日本の屋根は最後にここに行き着いた」とのこと。
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日本一複雑な屋根の社寺とのことですが、
なぜここまで複雑にしなければいかなかったでしょうね?
檜皮葺は文字通り薄いヒノキの皮を少しずつ重ね合わせて作るので、
材料調達も含めて本当に気が遠くなる仕上げです。
ただ、このカタチは檜皮葺だからこそできるのでしょうね。
藤森さんの言うように確かにここが終着点なのでしょう。
檜皮葺の伝統技術の素晴らしさを感じながらも、急ぎ坪川家住宅へ。
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小さな写真だけ見るとどこにでもあるよくある民家のようにも見えますが、
移築されたり、博物館になっていたりしていない立派なものです。
昭和43年に別棟を建てたとは言え、まだ現役。
その当時は周りも茅葺き屋根だったらしいのですが、今はここだけ。
日本の原風景のような桃源郷のような場所に建っています。
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土間の力強さか、囲炉裏の火か、暗闇の天井か、静けさか、
何がそう思わせるのわかりませんが、地霊のようなものを感じました。
格式の高さのようなものめ感じたので、どのような方の住まいか尋ねると、、
「北面の武士」の末裔の格式の高い旧家とのこと。。。
やはりこの集落の中では別格だったらしい。
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金沢、芦原と新鮮で美味しい海の幸をたくさんいただきましたが、
最後の食事はこちら。谷口屋の油揚げのステーキ。
写真でこの大きさは伝わらないかもしれませんが、かなり巨大です。
そして、福井といえば越前蕎麦。おろし蕎麦も最高でした!
坪川家住宅のすぐそばで、「谷口屋」の看板の方が頻繁に案内が出てきました(笑)。
かなり有名で遠方からわざわざ食べにくるようですね。
棚ぼたで美味しい食事にありつけてラッキーでした。

平田雅哉の大観荘

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以前から泊まってみたいと思っていた「大観荘」に行ってきました。
ご存知の方も多いと思いますが、国内外の著名人も泊まっている熱海の老舗旅館。
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宿泊した部屋はこちらの「大観の間」。横山大観、谷崎潤一郎といった面々が
この床の間を背に映った写真が部屋に飾ってありました。
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「大観の間」は錦鯉が泳ぐ池、あたみ桜と梅が咲く龍居松之助の庭に面した部屋で、
戦前は鉄鋼で財を成した中山悦治の別邸(1941)。
ただ今回の宿泊の目的は数寄屋大工の棟梁、平田雅哉の作品を見ることでした。。。
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フロントで平田雅哉が手がけた部屋を可能な範囲で見せていただきたいとお願いし、
しばらく部屋で庭を眺めながらお茶を飲んでいると、わざわざ支配人がお部屋に・・・
とても丁寧に旅館の歴史から説明をしていただきました。
「大観の間」にどれだけ平田雅哉が関わっているかわからないとのことですが、
平田雅哉の作品集に本館2階「松風の間(1949)」が掲載されていたので、
1階「大観の間」も多かれ少なかれ改装してしていることでしょう。
ところで、本館は村野藤吾が関わっていたようです。
旅館の方々も本館は他の建物と趣が違うと前々から思っていたそうですが、
ある時、京都工繊大の村野藤吾の研究グループがやって来て、
その時、村野藤吾が大観荘に関係しているという事実を知ったそうです。
図面を見せていただくと、確かに「大観の間」あたりは全く同じ間取りなので、
確かに多かれ少なかれ村野藤吾が関わっていたようです。
村野藤吾と平田雅哉。
二人は親交は深かったようですが、「大観の間」ではどこが村野藤吾で、
平田雅哉がどこを改装したのかを探すのも楽しみ方の一つかもしれません。
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そして、本館と平田雅哉(後に平田建設)が増築した棟をつなぐ渡廊下(1966)。
竣工当時から手を入れていないので正真正銘の平田雅哉のオリジナル。
支配人によると、南館(1951)と西館(1971)に、
最も平田雅哉らしい部屋が残っているとのことで、
お客が来る前に可能な範囲でいくつもの部屋を案内していただきました。
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南館「井筒の間」の「上尾の間」の障子は、縦桟がアクリルの斬新なデザイン。
遠くから見ると横桟だけに見えるので、横に伸びやかに見えますね。
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ただ、素材の違いが相性があまりよくないのかもしれません。
若干のソリやワレもありますが、気にしないので是非、残して下さい!
平田雅哉は大工の棟梁ですが、設計にも力を入れていたそうでそうで、
施工とメンテナンスまで全て自分でやるからこそできるデザインがあちらこちらに。
間取りもデザインモチーフも部屋ごとに全て違っているので、
今となっては維持管理はとても大変だと思います。
そのあたりは一般の方にはわからないのですが、苦労されていることでしょう。
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この部屋は角をとって漆を塗っていますが、
その反対に全体は漆を塗って角だけ木の素地を見せている部屋もあります。
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そして、格子の交点に特徴がある「相生の間」の障子。
単なるデザインというだけでなく、補強にもなっていると思います。
この障子は「西村屋」などの他の旅館でもアレンジされて使われていますね。
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こちらは西館の「青柳の間」は、部屋に入る手前にこちらの衝立があります。
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こんな感じに障子を開けることもできるようです。
コンクリート造の建物に数奇屋造りの部屋が入っていて、
天井は入口の高さは抑えて、奥の部屋の方に向かって高くした勾配天井。
階高は高く、天井懐がかなりあるので天井の自由度は高いのですが、
上の階の設備配管がスラブを貫通して天井懐内を展開させているので、
メンテナンスは大変とのこと。一般的にはメンテナスを優先しがちですが、
優先順位を変えるからこそできるものもあるのかもしれません。
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なるほど。こうなっているのですね。勉強になります。
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斜面に沿って建物は建っていて、奥へ奥へと誘う階段ですね。
手前が木造の南館で、階段の先がコンクリート造の西館。
全くバリアフリーではないので、宿泊客からお叱りがあって困っているそうです。
切妻天井、照明や開口部、そして細かな線部材が伸びやかさを感じさせますね。
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反対から見ると切妻のセンターが絶妙な位置にあって、
階段沿いの水平ラインに同化させています。。。素晴らしい!
パースを描いて施主にプレゼンまでしていたようで、
空間の作られた方がどことなくそんな雰囲気を感じます。
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様々な部材を組み合わせながら、全体をまとめています。
5、60年前の建築家ではなく、大工の棟梁がデザインしているのですから脱帽です。
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竣工当時、恐らく出始めた新素材のアクリルを使った壁の一部。

水を表現しているのでしょうか。今見ても斬新です。
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これぞ和モダン。数寄屋大工の棟梁という枠を超えています。
今回は支配人にご案内していただき、
長時間お話させていただきとても濃密な時間を過ごすことができました。
本当にどうも有難うございました!
平田雅哉の建物を見たのは今回が初めてでしたが、
福井芦原温泉の「つるや」、城崎温泉の「西村屋」「新かめや」など、
まだ現存する旅館があるようなので、近々に行ってみようと思います。

新緑の美しい京都、四君子苑ほか

新緑の美しい春の京都に行ってきました。
まず、特別公開の四君子苑へ。
四君子苑は吉田五十八が設計した建物があるということで有名ですが、
実際に訪れると、上質なものがさりげなく点在している様、
そして、北村捨次郎の晩年の作とされる数寄屋建築に圧倒されました。
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室内は残念ながら撮影不可。
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玄関周りと美術館からのみ撮影可です。
その後、修学旅行以来の清水寺へ。
新緑が美しいとは言え、人、人、人、、、
ザ・観光地!風情は全くありません(笑)。
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間近で見たかったのは、この柱脚部分。
雨からしっかり木の構造体を守る機能的な美しさ。
こんなところに興味がある人はいないようです。
のんびり見れて良かったです(笑)。
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そして、高台寺の傘亭。何度見ても美しいですね。
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そして、その隣りの時雨亭。
その後、親の長寿のお祝いで菊乃井本店へ。

御柱祭「建御柱」

いよいよ建御柱当日。
この日は御柱桟敷券を買って、万全の態勢で観覧に臨みました。
川越しのお清めが終わった御柱は、その後里曳きという行程を経て、
上社まで運ばれます。
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定位置に運ばれた御柱に、古くから伝わるやり方で縄が締められます。
この縄を締める役割は代々同じ家によって引き継がれているようです。
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横たわる御柱。手前が足元側になります。
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そして御柱にその地区の若衆たちがびっしりとまたがり、建上げ開始!
かなりゆっくりなペースで立ち上げられていきます。
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ほぼ垂直になった御柱の先端は鈴生り。
御柱の長さは約14mということなので、ビルにして4、5階ぐらいの高さです。
手元足元は危うく、長時間気の抜けない状況にさらされます。
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建上がり終了!みんな大興奮です!
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建上がった御柱はお清めされ、
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その後、御柱の若衆たちは一人一人、縄を伝って降りてきます。
建上がった後、どうやって降りてくるのか不思議でしたが、
最後まで見せ場を絶やしません。
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しかも曲芸(?)付き?
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七年に一度という祭りにかける地元の人たちの意気込みが、
ものすごいエネルギーとなって伝わってきました。
この七年に一度しかやらない御柱祭を支えたいがために、
この地域の人々は地元から出て行くこともなく、
町の活気も絶えることがないと聞きます。
故郷にこのような祭りを持つ人々の誇らしげな顔に、
羨ましさと共に清々しさを感じました。

御柱祭「川越し」

木落しを終えた御柱は次なる目的地、
川越しを目指して人力により街中を曳かれます。
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前宮一の御柱がやってきました。
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そしてめどでこに大勢の氏子たちがまたがったまま、
川に引き下ろされます。
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そして向こう岸に引き上げられ、川越し成功!
木落しと川越しは2日間に亘って行われ、
川越しにより清められた8本の御柱は
建御柱までの1ヶ月間、川越し先の安国寺に安置されます。

御柱祭「木落し」

まもなく今年も終わろうとしております・・・
ブログ更新がなかなかできない一年でしたが、
ちょっとだけ振り返ってみようと思います。
今年は七年に一度行われるという御柱祭の年。
以前より気になっていたお祭りなので、
これは見ておかねばと出掛けてきました。
お祭りの詳細は公式ページにおまかせして・・・
見に出掛けたのは諏訪大社の中でも上社前宮。
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社殿の四隅に建てられる御柱の一本。
重さ10トン以上の大木が山から切り出され、
人力によって神社まで運び出されます。
山出し最初の見せ場、「木落し」が目前に迫ります。
御柱の前後に上社御柱特有の「めどてこ」と言われる角が見えます。
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そしていざ「木落とし」へ。
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前後のめどでこには氏子がびっしり。
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御柱先端とめどでこ先端それぞれに縄が結ばれ、
それを大勢の氏子たちが指揮のもと操り、斜度27度の斜面を引き下ろします。
御柱が半分斜面に迫り出して・・・
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倒れちゃいました。
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でもなんとか持ち直して前進。
本来であれば倒れることなく斜面を滑り下りるところ。
斜面下で観客に揉まれながら、
やっとの思いでその時を迎えた立場としては残念でなりません。
でも氏子たちがいちばん悔しい思いをしてるんだと思います・・・
※写真前半2枚と後半4枚は別の御柱です。