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KPFの旧友と再び

KPFの勝野氏から、今晩、羽田に着くとの連絡があり、到着早々に再会。品川駅前のホテルパシフィック跡地の新しいビルの設計をとってその打ち合わせとのこと。品川の高輪口と言えば、20年以上前、大成建設設計部に所属している時、隣の品川プリンスは僕が担当していましたので少々懐かしいです。

勝野氏とは大成にいた頃からの30年くらいのつきあい。理科大岩岡研の横山くんを僕が紹介して、昨年の夏から1年間、ニューヨーク事務所にインターンに行っているのですが、その入れ替わりで上島くんを紹介。僕が学生だったら、僕が行きたいくらいです(笑)。ということで、岩岡先生も交えて飲みに行きました。

北沢建築工場を見学

昨日は急遽、ちょっとした用事があって、伊那に行ってきました。
その帰り道、どこかに立ち寄ろうと思って、新建築のデータベースで検索。三澤文子さんが設計、稲山さんが構造設計した北沢建築工場へ行くことに。
連休中なので、多分、閉まっているだろうと思いつつも、行ってみると案の定閉まっていました。隙間から覗いていると、後ろから「何か御用ですか?」と声をかけられ、振り返ると、「森さん?」と言われて、、、キョトンとしていると「大学のサークルの後輩の北沢です」と。驚きました。30年ぶりの再会で、マスクもしているので、全くわかりませんでした。こちらの社長だったとは!彼も休みでしたが、たまたま立ち寄ったタイミングだったらしく、特別に開けていただきました。詳しく説明をしていただきながら、中を拝見させていただきました。どうも有難うございました。
その後、宮本佳明さんが設計した真福寺客殿に立ち寄りました。こちらも突然行ったのですが、わざわざ開けていただき拝見させていただきました。どうも有難うございました。
行き当たりばったりにもかかわらず、30年ぶりの再会もあり、とても有意義な1日でした。

利根運河の鯉

東京理科大学の授業の前に利根運河で鯉のぼりを撮影してきました。青空を鯉を泳ぐ良いですが、川に映り込んだ鯉も嬉しそう。

こちらの動画は MDSの公式InstagramまたはFacebook でご覧いただけます。

新学期が始まりました@東京理科大学

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東京理科大学の設計の授業に行ってきました。
例年通り、各講師の自己紹介でしたが、学生の前での自己紹介は3年ぶり。やっぱり、学生の反応を見ながら話ができる方が良いですね。今年の2年生はかなりの定員オーバーとのことで、150人を10人の先生で指導するのですが、こんな感じで2階まで溢れかえっています(換気の良い場所で、レクチャー中はおしゃべりをしない真面目な学生ばかりなので全く問題ありません)。
では、皆様、頑張っていきましょう!

表参道の桜も満開

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青山で桜と言えば青山霊園が有名かも知れませんが、MDSの事務所のある表参道駅周辺は桜はあまりありません。事務所から一番近いのはアニエス・ベーの前の桜で、向かいのカフェ・マデュのテラス席から桜を眺めながらのランチがお気に入り。
あとは、根津美術館の一つ手前の交差点、安藤さんが設計したコロッツィオーネの向かい、From1stの斜向かいにも桜があります。From1stの1階のフレンチレストラン、フィガロからの桜もオススメです。

ホワイトデー@MDS

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MDSの事務所の近くのJEANCHARLES ROCHOUXのチョコレート。スタッフからのホワイトデーのお返しを皆でいただきました。媛小春が二つぶずつ並んでチョコレートに包まれているタブレット。みずみずしい柑橘とチョコの組み合わせが新鮮でとても美味しい!

TIME TRAVEL6・香港と上海_1992

周荘の集落調査の行き帰りに香港と上海に立ち寄りました。
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1992年の香港。まだ、ノーマン・フォスターの新しい空港ができる前の香港空港は、離着陸する間際に乗っている飛行機から自分が乗っている飛行機がビルのガラスに写り込むというのが有名でしたよね。夜の着陸はとても美しく、エキサイティングでした。
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最近、行ってないですが、今もこんな感じなんでしょうか?
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こちらが犯罪の巣窟、無法地帯と言われつつも話題のつきなかった立体スラム街、九龍城砦。1992年の頃はすでにネットフェンスで立ち入り禁止にはなっていましたが、怪しげな人がまだ出入りしていました。この数年後に、全て取り壊しされました。
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香港のこちらの集落調査をしているチームと合流。一学年下の後輩、建築家の高橋堅などがこちらの研究をしていました。香港郊外に円形ではない客家があるとのことで調査したようですが、客家とは直接は関係はないという話だったような・・・詳しくはわかりません。
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残念ながら、あまり上海の写真がないのですが、比較的に高いところ探して、、確かヒルトンホテルから外灘方向を撮った写真だと思います。超高層ビルはまだほとんどなく、和平飯店から川の向こうを見ると野原が広がっていたと思います。1992年当時、現在のように発展するとは全く想像ができませんした。。。

TIME TRAVEL 5・中国・周荘_1992

大学院の1年の時、研究室のみんなと周荘という小さな町の集落調査に行きました。上海と蘇州の間にあるその町は今はすっかり観光地ですが、当時は冷房のある建物は全くなくて、水しか出ないシャワーしかないようなところに寝泊まりしました。
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東洋のベニスとも言われる周荘、蘇州。蘇州は周荘のような町が都市化されたと考えられていていますが、周荘の周りにはこの町の原形のような集落が点在しています。
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この頃は、観光客は全くいない、とても静かな町でした。
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お店は数軒あるだけです。
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船に乗って、あちらこちらの集落の調査に行きました。
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子供たちは上半身裸で裸足で走り回っているようなのどかな農村。古い建物に混じって、コンクリート造の建物も建ちはじめていました。
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早朝の風景。この湖畔の宿に泊まりました。とにかく暑くて湿度が高く、蚊が多くて眠れず、、、、トイレもひどい状態でした(当時の中国のトイレ、ご存じの方も多いのではないでしょうか?はい、まさにそれでした!)。。。。そんなところでしたので、デリケートな人は次々と倒れていきました(笑)。とは言うものの、学生時代に友人たちと過ごしたこの経験は、とても貴重だったと思っています。

TIME TRAVEL 4・インド_1994

大学院を修了して就職直前の春、インドを1ヶ月放浪しました。デリーからスタートして、北部のシャンディガール、南下してアメダバード、ボンベイ(ムンバイ)、そこから北東の内陸、デカン高原のエローラ、アジャンタ、さらに北東のベナレス(ヴァーラーナスィー)、最後にカルカッタと電車とバスで移動しました。
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シャンディガールはル・コルビュジエがつくった近代都市に、ル・コルビュジエが設計した近代建築が点在しています。
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オスカーニーマイヤーのブラジルの首都、ブラジリアとよく比較されるシャンディガール。幅の広い直線の道をひたすらこのリクシャーで移動します。ちなみに、リクシャーは日本語の力車が語源とか?
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電動のリクシャーもよく乗りました。インドはどこに行っても、町中の移動はほとんどはこのどちらかでした。
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アメダバードにはステップウェルと呼ばれる地下水まで階段で降りられる美しい階段井戸があります。
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ル・コルビュジエの設計したインド綿工業館や、
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少し郊外へ行くと、ルイスカーンが設計したインド経営大学といった近現代の名作もあります。アメダバードからさらに南下してボンベイ(今のムンバイ)を経由して、北東の内陸のデカン高原へ。
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エローラの石窟寺院。山からくり抜いて作られているとのことですら驚きですね。
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こちらはアジャンターの600mにもおよぶ石窟寺院群。
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そして、さらに北東に大移動して、、、聖なるガンジス河での沐浴が有名なヴァーラーナスィー。
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異次元の世界が広がっていました。
そして、最後はカルカッタ。親が手足のない子供を道端に並べて物乞いしている地獄絵巻のような光景があちらこちらにあって、、、そんな写真は僕には撮れませんでした。インドはこれまでの地域とはまた大きく違った強烈なインパクトがあり、地球上にいろんなところがあると改めて思いました。そして、この1週間後、社会人となりました。

TIME TRAVEL 3・イスタンブール_1992

大学の卒業旅行は3ヶ月間の欧州放浪。そのスタートはイスタンブールでした。深夜に到着して、アヤソフィア、ブルーモスクまで歩いてすぐのところに泊まったのですが、、、早朝、スピーカーから流される大音量のコーランで目が覚めました。早速、イスラム文化圏の洗礼を受けました。
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早朝のブルーモスク。
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釣り人で埋めつくされた橋の先にモスク。モスクが入ると全てが特別になりますね。
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こちらの焼き魚、いい匂いがしたので買って食べましたが、、、よく見ると水が汚い。。。食べた後、少々心配になりました(笑)。
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夕方のイスタンブール。
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歴史のある美しい商店街。
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こちらはボスポラス海峡。あちら側がアジア、手前がヨーロッパです。イスタンブールに数日滞在後、あちら側の内陸部のカッパドキアへ行きました。

TIME TRAVEL 2 ・ベルリン_1992

激動のウクライナ情勢から目が離せませんね。僕が生まれた1968年はフランスの五月革命、プラハの春などのあった激動の年。そのプラハの春のソ連侵攻の映像を見ると悲しくなりますが、今回はそれどころではありません。ナチスドイツのポーランド侵攻か、時代背景を考えるとそれ以上です。
思い返せば、、、30年ほど前、ペレストロイカ、ベルリンの壁崩壊という流れで冷戦は集結して、世界中が明るい未来がくるというムード一色のいい時代でしたね。激変する前の東欧を見ておこうと思い、大学4年生の時にベルリンに行き、そこから南下して、ドレスデン、プラハ、ブダペストを巡りました。
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遠くに見えるのはブランデングブルグ門。その左側が東ドイツ、右側が西ドイツです。壁が崩壊して2年後の1992年春、このあたりの壁はすでに綺麗に壊されていました。
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ただ、少し中心部から離れるとこんな壁が残されていて、
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あちらこちらの緩衝地帯を警備員がパトロールしているような感じでした。
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実際の壁の有無にか関わらず、町が分断されていた痕跡はバスに乗ると一目瞭然。バス路線はその名残があって、壁があったことを感じさせる不自然な通り方をしていました。今はどうなんでしょうね?
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東ベルリン側のタワーから西ベルリン側を見た風景です。西へ一直線に伸びた道の真ん中あたりにブランデンブルク門が見えます。
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こちらは東側、東ベルリンの風景です。その後、ベルリンに行っていないのですが、きっと大きく変貌していることでしょう。
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東ベルリンにはシンケルの新古典主義の巨大建築などが建ち並び、決して西側に見劣りするものではありません。写真はシンケルの代表作アルテス・ムゼウム。一方、西ベルリンにもベルリンフィルやミースの名建物などもあって、それらを見学したのですが、、、、なぜか写真が一枚もありません(涙)。その後、ベルリンは大きく変わったようなので、ぜひ、もう一度行ってみようと思っています。
連日、ブランデンブルク門の前での反戦デモの映像が流れています。ドイツ人にとっては東西分断の負の歴史を痛感しているからこそのデモなのだと思います。一刻も早く、良い方向に向かって欲しいですね。

TIME TRAVEL 1 ・サハラ_1993

学生時代に撮った30年前のポジフィルムをデジタル化。その写真をアップロードして時間遡行する記事の第一弾はサハラ砂漠。印象に残る旅先の風景の一番を選ぶのは難しいですが、緑と四季の変化が美しい日本で生まれ育った日本人にとって、緑も水もなく生物が全くいない無音の砂漠はかなりの衝撃でした。
モロッコを旅行するのは今でこそ珍しいことではないとは思いますが、30年ほど前はまだ情報が少ない未知なる世界。東大の研究室などがすでに世界中の集落調査をしていたのでアルジェリアやモロッコなどのサハラ以北の国々の情報もわずかながら入ってきていましたが、周りにはサハラに行ったことがある人はいなくて、「カサブランカ」や「シェルタリングスカイ」といった映画などで、モロッコに行ってみたいという欲望が湧いてきました。
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ただ、アフリカ大陸にいきなり飛行機で降り立っても盛り上がりに欠けるので、、、、緑と水の豊かなスコットランドから南下して、フランス、ポルトガル、スペインを経由した後、ジブラルタル海峡を船で渡ることにしました。コルドバ、グラナダあたりはすでにイスラムの影響を強く受けていましたが、海を渡ったタンジェという港町についた瞬間、これまでに経験したことがない別世界が広がっていました。イスラム独特の強烈な熱気と写真では表現できない喧騒と匂い、前の年に行ったトルコとはまた違ったかなり怪しげな街でした。タンジェに夕方に着いてしまったというのもそもそも大きな失敗だったのかもしれませんが、アンダルシアの長閑な雰囲気から一変、船から降りるや否や四方八方からバックと手を大勢の客引きに引っ張られ、、、、それを振り張って、夜行列車に飛び乗りこの街を脱出しました。東洋人はもちろん、ノー天気な西洋人の観光客もほとんどいない、かなり怪しげな雰囲気が漂っていました。後から現地のJAICAの方から聞いたのですが、ちょうどその日もJAICA職員が襲われたとのことで犯罪の多い町だったようです。。。
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翌朝、マラケシュという大きな町に着きました。タンジェに比べると幾分落ち着いた町でしたが、そこも驚きと不安で一杯になる刺激的なところでした(笑)。マラケシュはモロッコ有数の観光地なので欧米のツアー客も大勢いて、タンジェに比べると恐怖を感じることもないのですが、バザールで一人になった瞬間、一眼レフで写真を撮るのは少々物騒な雰囲気はありました。あまりのんびり観光しなかったので、また是非行ってみたい町の一つです。
ここまでは(そこから先もですが・・・)全くノープランで来たのですが、たまたま町中で日本人数人を見かけ、僕が運転するのでレンタカーを割り勘で借りないかと誘って、サハラ砂漠に一緒に行くことになりました。。。
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借りたのはオンボロのルノーで少々心もとなかったのですが、なんとかアトラス山脈を超えて、少しずつ砂漠に近づいてきたような風景になってきました。
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アトラス山脈の南、土漠を東西に横断するカスバ街道。まっすぐの道をひたすら東に走ります。
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車で数時間走るとオアシスがあって、そこに緑と水があるので集落があるという感じです。そこで休憩しながらそんな集落に泊まりました。情報があまりないので、常に行き当たりばったりです。。。きちんとした地図もなく、カーナビも携帯もなかったのにどうやって旅行したのかよく分かりませんね。。。
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土漠を南下すると少しずつ砂が混じったエリアになって行きます。さらに南下すると砂の割合が増えていき、僕では運転が難しくなり、途中で道案内を雇って、最終的には運転も変わってもらってパリダカラリーのような感じになりました。不思議と(?)砂で埋まるところにチップ目当ての男たちが待機していて車の後ろを押してもらう、、、それを繰り返しながら、、、、
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ついに砂漠に到着!歩いて砂の山も越えるとこの風景です!
そこには風の音だけが聞こえる今まで体感したことがない世界が広がっています。緑も水もない世界は日本人にとっては衝撃でした。鳥も虫の音も聞こえないないのですから・・・・。夕方、日没してどんどん暗くってくると、背筋が凍りつく感じになってきました。ここで砂に埋められてしまったらこの世から自分が消されてしまうというような恐怖感も感じたのか?単に自然の美しさに感動したのか分かりません。その時が今までで一番、自然を強烈に感じた瞬間でした。
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その後、北上して地中海沿岸に戻って、フェズといった美しい町をいくつか街を訪れました。カサブランカにもいきましたが、すでにガラス張りの高層ビルが建ち並ぶ近代都市で、フェズこそがまさに映画「カサブランカ」のイメージ通りの町でした。
モロッコではレンタカーだけでなく、ヒッチハイクもしながら移動しました。今、思えば非常に危険なことをしたように思いますが、平和な時代だったのですね。ロードムービーでヒッチハイクするシーンは見慣れていたので、あまり抵抗がなかったような気がします。勿論、大丈夫そうな人に頼んで乗せてもらっていましたが・・・・
ちなみに、、、砂漠のように人がつくったものがない神ががった美しさは、海の中、雲海に浮かぶ山々でも大きな感動をした経験があります。私たち人間が作り出すものは、所詮、自然界の美しさを越えられないと感じました。そして、そのMoutain、Desert、Sea の3つの頭文字をとったのがMDSの語源とか?そうでないとか??

TIME TRAVEL・風景の一部になっていた箱の中身

先日、スペインの建築家リカルド・ボフィール訃報のニュースがありましたね。30年ほど前にスペインの彼のオフィスまでわざわざ見学に行ったのを懐かしく思い、すっかり本棚の見慣れた風景になっているポジフィルの入った箱を久しぶりに開けてみると、、、、タイムスリップしてしまいました。
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コンクリート工場をコンバージョンしたリカルド・ボフィールのオフィス。
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確かバルセロナ?の郊外で公共交通機関がなくてかなりの距離をひたすら歩いたような記憶があります。この頃はインターネットなどは勿論なくて、道端の人に聞いて教えてもらった方向に歩き、そしてそれが間違っていて、、、、とそれの繰り返し。とても大変でしたが、その途中でいろんな発見がありました。
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今となっては日本でも古いものを生かすことや緑に囲まれた郊外のオフィスなど、だいぶ一般的になってきましたが、これが30年以上前ですからねー。素晴らしいですね。
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こちらはパリ郊外のボフィールが設計した集合住宅。
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こちらは近未来映画の未来世紀ブラジルにも使われた集合住宅です。絵になる共用空間ですね。。。この自転車に乗った子供たちと仲良くなって、家の中に入れてもらえないかと親に頼んでもらい、めでたく中に入ることができました(笑)。その頃、世界中は良い方向に向かっていたからか、あるいは日本人が珍しくイメージも良かったからか、ここに限らず調査、見学と言って建築学科の若者の特権?で、あちらこちらに入れてもらえました。今の若者もそんな特権は使えるのかなあ?
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30年ほど前の建築学科の学生はポジフィルムで写真を撮ることはそれほど珍しいことではなく、いつでもスライド上映できるようにしてありました。学生の時だけでも、アメリカ、メキシコ、韓国、香港、中国、マレーシア、インド、ロシア、トルコ、東西のヨーロッパ、モロッコなどを旅行したので、膨大な写真があります。今とは全く違った世界各国の写真もあって、このままお蔵入りしているのも少々勿体無いような?まさかこんなデジタルの時代になるとは、当時は全く思ってもいなかったですね。。。
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こちらはRIAのテロ直後、ロンドンのシティ。その頃の日本はテロとは無縁の平和な?バブルでしたから、、かなりの衝撃を受けました。シティ全体がこんな感じだったのに、このビルの目の前のリチャード・ロジャースが設計したロイズ・オブ・ロンドンはなぜか無傷でした。
この他にも大学の研究室のみんなと行った中国の水郷集落の調査、今のように発展する前のインドや中国の風景、ヒッチハイクとレンタカーでアトラス山脈を越えてサハラ砂漠に行った時の写真などなど、面白い写真はたくさんあります。
例年、この時期は大学の卒業設計の講評会と海外旅行という感じでしたが、今年もまだ海外には行けませんね。こちらのブログはもともと旅行ネタが多いので、コロナ禍ではどうしても更新頻度は下がってしまいますね。ということで、今後そんな写真をアップしていこうと思います。

卒業設計講評会@日本大学

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日本大学生産工学部の卒業設計講評会に行ってきました。例年通り、午前中の1次審査では展示されていている作品から各先生が8作品選び、午後の2時審査では票数の多かった学生が発表します。
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今年も発表者はzoomで参加。先生も半数がオンライン参加で、いまひとつ盛り上がりに欠ける講評会でした。
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こちらが一等の谷口真寛くんの作品。力作の模型です。本来なら本人が模型を使って説明すると、一層良さが伝ってきたと思います。色々と考えさせられる講評会でした。

「成城の家II」祝!竣工

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成城の家 Ⅱが竣工しました。
閑静な高級住宅街で知られる東京郊外の成城。周辺は緑が多く、区画の大きい住宅が多い一角であるが、敷地分割された計画地は間口が限られ、建蔽率、容積率ともに余裕はない。しかし隣地との関係を丁寧に読み解くことで、プライバシーを確保しながら隣地の緑を借景とし、自然を感じられる伸びやかな空間となっている。1階は水回りと個室群で、リモートワーク時代の住宅らしく家族各々が個室を構え、仕事場として将来外部との接点としても活用される個室を玄関より手前に設けている。2階は中庭を中心にリビングとダイニングキッチンを分け、高低差や平面方向のズレを活かし、日当たり良く、内外を連続させつつ程よい距離感を持たせた家族団欒の場が生まれている。
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祝!重版出来

先月発売されたMDSの本「暮らしの空間デザイン手帖(改訂版)」が重版出来とのこと。発売から1ヶ月で重版となることが、正直、どういうことなのかよくわかっていないのですが、大変喜ばしいことのようです。皆様、どうも有難うございます。今回は大幅に改訂した新刊のような改訂版ということで、やや微妙な立ち位置のものですが、ひとまず安心。

「鎌倉浄明寺の家」が雑誌「I'm home.」で記事に

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新年早々発売のI’m home.の最新号は、くつろぎのプライベート空間の特集。MDSが設計した鎌倉浄明寺の家が紹介されています。
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鎌倉浄明寺の家はワンルームの一角をオープンなベッドルームにした事例として紹介されています。こちらの住宅は毎号、何かしらの記事で再掲されているような印象ですが、、、、このベッドスペース、今はギャラリー!ギャラリーとして利用されている状況は、ウェブマガジン100%LIFEで詳しく紹介されています。

KPFの旧友帰国

KPFの勝野氏と久しぶりに会いました。KPFは、六本木ヒルズ、上海環球金融中心(上海ワールド・フィナンシャル・センター)など、誰もが知っているランドマーク的な超高層をたくさんデザインしていることで知られるNYの世界的に有名な建築設計事務所。勝野氏とは僕が大成建設に入社したばかりの頃、配属された名古屋支店で一緒に仕事をしていた旧友です。当時ならではありますが、毎日のように深夜から夜明けまで、打ち合わせをして・・・・といった昼夜関係なしの日々を送っていた頃を懐かしく思います。その後、僕は本社配属になって東京に戻ったのですが、彼はNYへ。その後、いろいろ苦労はしたようですが、KPFに入って今やアジア地区の超高層ビルをデザインする中心的存在にまでなっています。ご立派です!帰国する度に会っていましたが、コロナ禍ということで今回は数年ぶり。ですが、、、、想像通り、帰国便の飛行機で感染者がいて2週間隔離となってしまって、ようやく自由の身になったとのこと。本当に今は国境を越えるのは大変ですね。
それはさておき、昨年、勝野氏からKPFに興味のある優秀な学生を紹介して欲しいとの相談があって、理科大岩岡研究室の横山くんを紹介しました。今、NYでバリバリ頑張っているようです。そんな話もあって、岩岡先生のご自宅兼アトリエの乃木坂ハウスへ。岩岡先生も交えて、ニューヨークや超高層のデザインなどの楽しい話をしているうちに、岩岡先生がフランスから機内持ち込みで持ち帰った美味しいワインを何本も空けてしまいました。申し訳ありませんでした!有難うございます。
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新しいMDSの本をプレゼントして記念撮影。
こちらのプログを見た学生諸君、ニューヨークでぜひとも働きたいと思っている人は連絡ください。勝野氏に紹介します!

Season's Greetings 2021→2022

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本年も格別のご高配にあずかり、誠にありがとうございました。来る2022年の皆様のご健勝とご多幸を祈念するとともに、今後とも変わらぬご厚情を賜りますようお願い申し上げます。どうぞ穏やかな新年をお迎えください。
※MDSは12月25日(土)から1月5日(火)までを休業とさせていただきます。