先日、ゲスト講師として明治大学に行ってきました。
学生と接するのは、こちらもリフレッシュできて良いものです。
明大は理科大、日大とはまた違った雰囲気で、
大学での教育についていろいろ考えさせられました。
ところで、この時期はどこの大学も、卒業設計の提出に向け、
後輩が先輩を手伝う独特な空気が流れています。
今年も、理科大、日大には卒業設計の中間指導行ってきましたが、
2月中旬に行われる卒業設計審査会が楽しみです。
こちらは日大での2年生の今年最後の設計製図の授業風景。
8人の講師が、それぞれが指導した20人の学生の中から、
1、2名を選び、全体講評会で議論の末、1等を決めます。
1等は僕の指導した学生の加藤絵理さんの作品。
斬新なオフィスの提案で、圧倒的な票を集めた1等でした。
おめでとうございます。
どこの大学もコツコツ努力するのは女子学生。
男子諸君がんばりましょう!!!
投稿者: mds
修善寺「あさば」のお食事
そして「あさば」の夕食。
上質な素材をふんだんに使った、
素朴かつ大胆な料理との評判です。
こちらが当主直筆のお品書き。内容はもちろんですが、
その書からも、これから始まる食事への想像がかきたてられます。
まずは「ひいらぎ素揚げ」。からっと揚げられた、淡白なお味です。
左が「もろこしすり流し」。とうもろこしの香りが香ばしい汁物です。
右は「文月盛肴」。
「鯵たたき吸鍋」。お出汁がきいていて、とてもおいしい。
「すずき島あじ造り」。弾力に富む歯応えのお造りです。
「大見川鮎炭焼」。目の前で仲居さんが七輪で焼いてくれます。
頭からがぶりと豪快にいただきます。
左が「白だつ茶豆胡麻あえ」、右が「床ぶしもろこし揚物」。
どちらも食感のおもしろいお料理です。
「穴子黒米ずし」。穴子の下になって見えませんが、
その名のとおり黒いお米で握られています。
修善寺特産の黒米で、もっちりとした歯応え。
滋養強壮に優れた古代米の一種だそうです。
柔らかく煮た穴子の背骨が添えられています。
「冬瓜牛炊合せ」
「あゆごはん」と「じゅん菜の赤だし」。
なかなか家ではできない、旅館ならではの組み合わせです。
〆は甘味・くずきり。
きしめんのように平たいくずきりに黒蜜をかけていただきます。
くずきりはよく知っている食材ですが、形が変わるだけで
食感や舌触りが変化し、また新たな印象を受けました。
〆の甘味と書きましたが、
この後、アイスクリームも出てきました。
修善寺の名旅館「あさば」
「mdsのときどきブログ」は「ときどき」しかアップされないとは言え、
いろいろな方に(いつもブログを見ていただき有難うございます!)
インドネシア、メキシコの建築視察の写真はまだですか?
と挨拶のように言われます・・・が、もう少しお待ち下さい・・・
年始はなんとなく日本的な気分でおりますので、
ブログアップできないでいた、日本国内の印象に残っているものを
いくつかご紹介します。
まずは、修善寺の「あさば」という旅館。
京都の「俵屋旅館」、湯布院の「亀の井別荘」など、
日本には世界に誇る「旅館」が数多くありますが、
伊豆・修善寺の「あさば」もそれに並ぶ、
伝統と現代的な感覚をあわせもつ名旅館です。
「あさば」は520年の歴史をもつ日本最古の旅館と言われており、
客室から池の対岸に格式高い能舞台が見えるのが有名。
建築史家、旅館の評論家など絶賛の旅館です。
520年の風格を感じさせる賓客門が迎えてくれます。
瓦屋根の重厚感と門扉の彫刻が見事です。
賓客門を抜けたところに玄関があります。
藍色に染められた麻の暖簾が涼やかです。
訪れたのは夏。ロビーには涼を感じさせるこんな演出も。
氷のかたまりにつる草をまとわせています。
そして随所に旅館のセンスを感じさせる小物がみられます。
こちらが泊まった部屋からの風景。
池の水面が近く、目の前に能楽堂、その背後に緑豊かな山が迫ります。
到着が早かったので、部屋を選ばせて頂きました。
滝の水音も相まって、五感で日本の夏を満喫です。
客室の床の間。掛軸と花、そして余白から何を感じ取るか・・・
襖紙の模様。全ての客室の襖紙を見てみたくなります。
こちらは読書室。客室とは違う角度からの景色が楽しめます。
こじんまりとした旅館のためか、他の宿泊客とほとんど出会うことがありません。
旅館といえば、やっぱり露天風呂。
のんびりお湯につかって、気がつくと大きな鳥が・・・。
池には川の水を引いているので、川魚がたくさんいて、
それを目当てに鳥がやってくるのだとか。
後で仲居さんに伺うまでは、彫刻だと思ってました・・・
あまりにじっとして動かないので・・・
暗くなっていく様子をじっくり堪能。
夜、能舞台はライトアップされ、ここでしか体感できない情景が現れます。
小舟でいくつもの行燈を池に浮かべていきます。
この行燈が静寂な空間へいざないます。
「月桂殿」と名付けられた能舞台は、
明治後期に深川の富岡八幡宮から移築されたものだそうです。
神聖な領域と人の住むこちらの領域に距離を感じます。
能舞台には旅館で働く方々も立ち入りできないそうです。
伝統的な旅館でありながら、壁のレンガを白く塗った現代的なサロン。
夜は外のライトアップを楽しめるように、室内はかなり暗め。
ハリー・ベルトイアの「ダイアモンドチェア」が置かれています。
緩やかな時間を過ごした後は、いよいよ夕食。
食事については、次でご紹介します。
「代々木上原の家」建て方
「代々木上原の家」の建て方が始まりました。
代々木上原周辺は起伏に富んだ地形で、
「ブラタモリ」(ご存じの方も多いと思いますがNHKのTV番組)的には、
非常に興味深い地域と言えるのではないでしょうか?
この住宅は小高い丘の上にあり、敷地の奥は急に低くなっていますので、
2階レベルでは予想通り新宿高層ビル群をはじめ、都心を一望できます。
超高層マンションの眺望も勿論良いのですが、
大地と近い自然の感じられる低層からの眺望は、やはり格別です。
東京は起伏の多い街ですが、ビルで埋め尽くされた昨今では、
なかなか戸建てでこのようなところは少ないのではないでしょうか?
この住宅の最大の特徴である湾曲した集成材の柱です。
2階のリビングあたりで作業をする大工さん。
新宿高層ビル群を眺めながらのお仕事、とても良い職場環境ですね。
「深沢の家」祝上棟!
「深沢の家」、ついに上棟しました!
ダイナミックな木架構がつくり出す、豊かな空間が見えてきました。
手前がダイニング・キッチン、一段上がったところがリビングです。
上棟式では建主様のご友人のお寿司屋さんのものを戴きました。
建主様の人柄が感じられる、和やかなひとときでした。
大晦日とお正月
昨年の大晦日は毎年・・・ではないですが、
恒例のジルベスターコンサートで年越しでした。
今回の座席は、なんとオーケストラの真横。
音響環境としては完璧ではないのでしょうが、
演奏者の様子が間近で見られ、
躍動感の伝わってくる目にも楽しい席です。
オーケストラの背後にも座席があります。
観客の視点からするとかなり不思議な眺めでしょう。
カウントダウンの演目はストラビンスキーの「火の鳥」。
指揮者は今回も年明けに合わせた見事なタクト裁きでした。
そして元旦、念願の中華おせちです。
毎年食べてみたいと思いつつ見送ること数年。ついに実現です。
イメージどおり、品数豊富でどれもとてもおいしい!
※蓋を開けたとたん箸をのばしてしまったため、実は食べかけです(汗)
あけましておめでとうございます!
新年あけましておめでとうございます。
さっそくですが、今日は仕事始め。
事務所近くの代々木八幡宮へスタッフ共々初詣。
「茅の輪くぐり」で心身の罪穢れを祓い清め、本殿に参拝。
茅の輪は本来、左右交互に3回くぐってお参りするらしいです。
今日はその作法をうろ覚えだったため、はしょって1回くぐるのみ。
ん~、もう一度お参りしてこようか・・・
仕事始めのお昼は、新たなる一年に勝つ!という願いを込めて、
とんかつ武信分店で名物醤油かつ丼。
たっぷりの鰹節が香り高く、相性抜群です。
年末年始のお知らせ
年末年始は
12月29日(水)~1月4日(火)の間、
お休みとさせていただきます。
1月5日(水)より平常業務となります。
瑞牆山
そして御柱祭の興奮冷めやらぬ中、
八ヶ岳の南東に位置する瑞牆山に登ってきました。
瑞牆山は途中から大きな岩がゴロゴロ。
山登りというか、岩登りです。
巨大な岩がそそり立っています。
遠くに見える岩の上にもきちんと木が育っているのを見ると、
生物の生命力の強さに改めて驚かされます。
そこをズームアップしたのが、
こちらです。
瑞牆山の山頂は、正確にはこの大きな岩の上の先?
遠くに見えるのは南アルプスです。
見降ろすと、ほぼ垂直にかなりの落差があって、相当怖いです。
南東の方を眺めると、金峰山。
天候に恵まれました。
御柱祭「建御柱」
いよいよ建御柱当日。
この日は御柱桟敷券を買って、万全の態勢で観覧に臨みました。
川越しのお清めが終わった御柱は、その後里曳きという行程を経て、
上社まで運ばれます。
定位置に運ばれた御柱に、古くから伝わるやり方で縄が締められます。
この縄を締める役割は代々同じ家によって引き継がれているようです。
横たわる御柱。手前が足元側になります。
そして御柱にその地区の若衆たちがびっしりとまたがり、建上げ開始!
かなりゆっくりなペースで立ち上げられていきます。
ほぼ垂直になった御柱の先端は鈴生り。
御柱の長さは約14mということなので、ビルにして4、5階ぐらいの高さです。
手元足元は危うく、長時間気の抜けない状況にさらされます。
建上がり終了!みんな大興奮です!
建上がった御柱はお清めされ、
その後、御柱の若衆たちは一人一人、縄を伝って降りてきます。
建上がった後、どうやって降りてくるのか不思議でしたが、
最後まで見せ場を絶やしません。
しかも曲芸(?)付き?
七年に一度という祭りにかける地元の人たちの意気込みが、
ものすごいエネルギーとなって伝わってきました。
この七年に一度しかやらない御柱祭を支えたいがために、
この地域の人々は地元から出て行くこともなく、
町の活気も絶えることがないと聞きます。
故郷にこのような祭りを持つ人々の誇らしげな顔に、
羨ましさと共に清々しさを感じました。