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英国の書籍「Jutaku」に「八ヶ岳の山荘」他数軒掲載

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英国出版社Phaidon社の書籍「Jutaku: Japanese Houses」に、
MDSが設計した住宅が4件掲載されています。
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鉄の家です。
日本の建築家が設計した日本の住宅がすらりと掲載されています。
パラパラと眺めてみると、海外の人の日本の住宅に対する興味は、
やはり規模(限られた面積の中での工夫)と、
インパクトのある外観だと改めて感じます。

コラム12/50,000㎡から50㎡へ

 家具デザイナーとして有名なチャールズ&レイ・イームズ。そのイームズ夫妻のショートムービー「Powers of Ten」を一度はどこかで観たことがあるのではないでしょうか?のどかな湖のほとりで昼寝をする男性を真上からとらえている映像から始まり、そこからどんどん上空に遠ざかって1億光年という壮大な宇宙の果てまで行き、そこから今度はどんどん近づいて元の映像を通り越し、男性の体内まで入り込んで素粒子レベルまで拡大されるというもの。定点観測でマクロの世界とミクロの世界がひとつながりに映し出される様子はとても興味深いところです。私たちに見えている風景にはマクロとミクロのどちらの方向にも未知なる世界が無限に広がっているという視点は、建築設計においても同様と言えるでしょう。
 「建築は住宅に始まり住宅に終わる」と言われますが、私たちが設計事務所を立ち上げて初めてのプロジェクトは、住宅ではなくオフィスビルでした。独立前は商業施設や生産施設といった規模の大きい建物の設計が多かったため、当時の私たちにとって床面積が1000㎡ほどのそのオフィスビルはとても小さいものでしたが、意匠、構造、環境、そして街並に配慮し総合的に考えたこのオフィスビルは、ゼネコン設計部から独立する上での卒業設計のようなものであり、私たちの設計事務所としての原点と言えるものでもあります。不思議なもので、住宅をメインに設計活動をしている今では、その1,000㎡のオフィスビルが大きく感じます。50,000㎡の商業施設と50㎡の小住宅ではどちらの設計が難しいのか、という比較は無意味なことで、どちらも全く違ったスキルと考え方が必要です。建築家の仕事の範囲は実に広く、都市計画、まちづくり、超高層建築から住宅、そして家具のデザインまで様々です。そのすべてを一貫して一人の建築家が設計することは現実には難しいことですが、どんな規模の建物を設計する場合でも、あらゆる視点、あらゆるスケールでのスタディが必要になってきます。
 大規模施設と住宅。その規模も用途も極端に違う建物の設計に携わった経験によって、私たちのマクロとミクロの両方の視点が磨かれたと思っています。そして、1000㎡の処女作王子木材工業本社ビルが、その二つの視点の分岐点となっているように思います。
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コラム11/上質な住まいに隠された「細部」

 近代建築の巨匠、ミース・ファン・デル・ローエの言葉に「God is in the details/神は細部に宿る」というものがあります。美しさと機能の追求はディテールの追求であるという解釈になりますが、細部までこだわり抜いた空間に実際に身をおくと、濃密で引き締まった空気を感じます。
 ミースが言いたかった正確なところはさておき、建築家はコンセプトにもとづく意匠だけでなく、住み手の様々な住まい方を想像して、「安全性」「快適さ」「使いやすさ」などにも気を配りつつ、如何に美しく設えるかを考え詳細をつめていきます。落下防止という目的ひとつとっても、機能を満たしながらも機能を感じさせない、さりげない手すりをデザインするなどはよい例です。何気なく感じる空間であっても、そこには実にたくさんの凝縮された工夫があるのです。細部まで緻密に考えながらも、それを感じさせないデザイン。そこではじめて上質な空間が得られるのです。
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コラム10/「暮らし」に息づく趣向

 設計者はどこまで住み手の暮らし方を想定して、細かいところまでつくり込むべきなのでしょうか?「住宅は“建主”のモノなので、あまりつくり込まずにシンプルな箱をつくり、引渡し後に“建主”が家を完成させていくべきです。」という声が時々聞こえてきますが、本当にそれでよいのでしょうか?建築家として住宅を設計するのであれば、それでは少し役不足なような気もします。確かに住み手の住み方によって空間はより素晴らしいものになりますし、建築家の自己満足でしかないプランより、シンプルな箱の方が空間に可能性がある場合もありますが、敷地から家具までシームレスにデザインするからこそできる空間もあります。建築家は住み手の5年後、10年後、あるいは住み手が変わった50年後をイメージしながら、どこまでつくり込むかの加減を見極めなければなりません。もちろん、イメージしたとおりに住み手は使わないかもしれませんが、様々なシーンを想定すること自体が大切で、その予想を遥かに超えて住み手が住みこなしていく可能性を持たせるべきだと思っています。
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「志木の家」お宅訪問

今年の夏に竣工した「志木の家」に行ってきました。
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漆黒の闇に包まれた個性的な住宅です。
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建て主の強い要望もあって仕上げはほとんどが黒で、
和紙、左官、タイル、木といった素材と光沢の違いで様々な表情をつくり出します。
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床のように大きなテーブルを家の中心に設え、食事はもちろん、テレビを見たり、
夫婦それぞれのデスクトップコンピュータを置いてネットサーフィンしたり、
そこでほぼ全てのことが行われます。
ソファの背後には横になりながらテレビを見るベッドスペース、
その両側にそれぞれの書斎があります。
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レースのカーテンで曖昧に仕切られたワンルーム空間となっています。
付かず離れず、夫婦二人のための適度な距離感のある住宅は、
漆黒の闇でありながら、周りの緑をすくい取って光が差し込み、
静かな二人だけの特別な空間です。
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とても個性的な住宅ですが、のどかな風景の中にひっそりと建っています。
この住宅ほど黒く、光を抑えたものを設計したことがありませんが、
数ヶ月住んだ建主様の感想は、
明るさはイメージ通りでとても落ち着くとのことで、
素材と光沢によるわずかな光の映ろいを楽めるとご満足のご様子。
設計者としてもとてもうれしいです。

コラム9/使い勝手を編み込む「間取り」 

 多くの建主にとって、「家」は街並やコンセプトといったものよりも「使いやすさ」が最も重要で、満足度に大きく影響します。そのため、設計する際にはこの「使いやすさ」について建主の要望に耳を傾けるのは至極当然のこととなります。一方で、建主の要望どおりの「使いやすさ」を織り込んだだけの住宅は、新鮮味のないものになりがちです。「使いやすさ」というものがこれまでの生活で慣れ親しんだものと同じであることが多く、例えばマンション住まいをしていた人が、「使いやすさ」だけを求めて自分の要望どおりにつくると、自ずとマンションの一室のようなものになってしまうというのはよくある例です。
 建築家は建主の言ったとおりにつくってくれないという話を聞きます。確かに建築作品をつくろうとだけ考えている人も少なからずいますが、建主に言われたとおりにつくる人もいて、むしろ、最近は建築家と名乗るそのような人の方が多いように思います。しかし、本来、建築家はその何れにも偏るものではなく、建主が要望していることはもちろん、要望していないことも含め、ありとあらゆる視点で実直に考え、より良いものを追求してこそ価値があるのではないでしょうか?そして、せっかく新しい暮らしをはじめるのであれば、これまでの生活の仕方や固定観念にとらわれずに、柔軟に「使いやすさ」を含めて空間を考えてみることが建主にも求められているのかもしれません。
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「東小金井の家」内装工事

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「東小金井の家」の現場に行ってきました。
内装は断熱工事を終え、プラスターボードを貼るフェーズに。
仕上がりの雰囲気がほぼ把握できるようになってきました。
竣工が楽しみです。