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久しぶりの建築探訪@大分

中津での法要の後、三密を避けて車で足早に大分県内の建築を見て回りました。
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中津から耶馬渓を経由して、龍岩寺奥院の投入堂へ。投入堂と言えば、国宝にもなっている鳥取の三徳山三佛寺が有名ですが、こちらはほとんど知られていないのではないでしょうか?
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こちらは三徳山三佛寺に比べると遥かに道のりが楽で、少々拍子抜けしました。
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しかも、近寄れるだけでなく、
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中に入れたのには驚きました!誰もいないところで静かに拝観できました。
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その後、別府を経由して大分市内へ。
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大分と言えば、磯崎新の旧大分県立図書館。

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docomomoにも選ばれていながらも、一時は解体の危機にあった磯崎さんの初期の名作。
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どこから見ても力強い外観です!
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現在はアートプラザという名に変えて、美術館として使われています。
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以前、図書館だったとは全く思わせないダイナミックな内部空間です。
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そこから少し内陸に入って、藤森さんのラムネ温泉に。インスタ映えすると建築とは無縁の一般の方々にもとても人気のある藤森建築。改めて訪ねてみると、やっぱり和みます。なるほど、建築的にもとても良いです。
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そして、杵築にも立ち寄りました。こちらは塩屋の坂から酢屋の坂を見た風景。
またコロナが落ち着いたら、ゆっくりと旅行したいものですね。。。

筑紫亭と風の丘葬斎場@中津

父の四十九日の法要で大分県の中津市に行ってきました。
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法要を終えた後、近くの老舗料亭、筑紫亭へ。こちらは大正時代の中津が栄えていた頃の面影を残す建物で、主屋と離れと塀は国の有形文化財に登録されています。
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手入れの行き届いた庭を抜けて玄関へ。
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玄関を振り返ると・・・美しいですね。
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中に入ると、また庭があります。
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2階にもたくさんの部屋がありますが、こんな時期なので客は僕らだけで貸し切りです。ゆらゆらとした吹きガラスが時代を感じさせます。
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三密を避けて広々としたお部屋に少人数で、中津名物のはも料理をいただきました。
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貸し切りということで、全ての部屋を女将さんに案内していただきました。こちらは、主屋と離れをつなぐ廊下。
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離れは庭に点在する数寄屋建築。
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このような廊下で繋がっています。
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なかなか凝ったディテールですね。
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このような建物と庭を維持するのは東京でも大変のことですが、人口10万人にも満たない地方都市の中津ではとても大変なことだと思って女将さんお聞きすると、海外や日本各地から筑紫亭を目当てに来ていただいているのでなんとか続けれられているとこと。
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一番奥のお座敷、竹の間の床。
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すべての部屋はそれぞれ異なった設えになっています。とても素晴らしい建物の中で、美味しい食事をいただくことができ、とても満足。その後、八面山のこがね山荘へ行く途中、「風の丘葬斎場」に立ち寄りました。
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「風の丘葬斎場」は、20年ほど前に竣工した、槇さんの名作。
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コロナ禍ということで、中に入ることはできませんでしたが、エントランス周りと庭を散策させていただきました。
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建物と庭の境界がなく、
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緩やかな傾斜した大地に呼応するような佇まいです。
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歩いていくと風景が、少しずつ変わっていきます。
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歩いているだけで心が安らぎます。そう言った意味でも、やはり素晴らしい建築ですね。ふと、ストックホルムの森の墓地を思い出しました。

アマン東京へ

コロナ禍で今年は海外旅行はおろか国内の建築の見学にも全く行けていませんでしたが、東京もようやくGO TO トラベルの対象になったということで、、、ただ、先が全く読めない状況なので、普段、泊まることのない(泊まる必要がない?)都内のホテルに行くことにしました。アマンか建て替わったオークラか少し悩みましたが、リゾート地ではないアマンを見に行くことにしました。アマンと言えば最近、伊勢志摩と京都にできて話題になっていますが、今度は北海道のニセコにもできるようですね。
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大手町タワーの最上階6フロアがアマン東京。こちらが、エレベーターで上がったロビー階です。それになりにインパクトはありますが、旧オークラで味わったような感動はないですね・・・
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設計は数々のアマンリゾートを手掛けたケリー・ヒル。ちなみにオークラの復元部分は谷口吉生(元々はお父様の谷口吉郎)で、どちらも大成建設の設計部が絡んでいます。御三家(帝国、オークラ、オータニ)を手掛けた大成はやっぱりホテルは強いんですね。僕が大成所属時はホテル系の部署にいたので、これらに関わっている方々はよく知っているのですが、辞めずに残っていたらここを担当していたのかなあと思いながら、、、、ソファで一休み。
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見上げるとこんな感じです。外国人が好きそうな和の雰囲気ですね。
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部屋は皇居側を指定すると、この大きさになるようです。恐らくアマン東京の中では小さ目の部屋のようですがこれで十分。一段下がった窓側の方にソファスペースがあって、目線が少し下の方に向かうようになっていて、窓のちょうど真ん中当たりに、皇居、その先に新宿、そしてその先に富士山が見えるようになっています。なるほど、なるほど。
ベットの手前には机があります。折角、机があるので、こちらで仕事を少々。
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疲れてきたので、お風呂に入って一休みという感じです。
コロナ禍で「ワーク」と「バケーション」を合わせた「ワーケイション」という言葉がもてはやされていますが、あまり快適だと仕事は捗らないですね(笑)。長期滞在すればまた違うのかもしれませんが・・・
東京の風景に見慣れた私たちにとっては眺望が良いと言ってもあまりリゾート感ないですね。。。ということで、夕方、ジムエリアで一通りの筋トレを済ませて、空きが出たのでプールへ。
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コロナ対策で人数制限がされていているのですが、プールサイドのベットは常に満席。たまたまかもしれませんが、プールで泳いでいる人はわずかな上、とても静か。周りの人が見ている中、音を立てずに静か〜に泳ぐといった感じです。リゾートですから当たり前ですね(笑)。
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次の日もチェックアウト後、プールに立ち寄りました。昨夜と違って誰もいない静かなプールを独占!夜は夜で雰囲気があって良いのですが、昼の光が差し込んだ水底がとても美しいです。バタフライ、そして背泳、平泳ぎ、クロールと個人メドーレー。本気で泳いで、息がゼーゼー(笑)。平日の真昼間にとても贅沢です。この後、ジャグジーに入って、何もなかったかのように、いつも通りに事務所に向かいました。
インテリアは想像していたものよりシンプルで、とりわけ高価な材料や手の込んだものもなかったように思います。普段、日本で設計している私たちにとっては見慣れたものが多いので、異国のリゾート地のアマンほどの高揚感はないのですが、海外から日本に来る外国人にとっては、眼前に広がる皇居や超高層のビル群、そして富士山などを見ると、また違った印象を受けるのだと思います。ホスピタリティは過剰な堅苦しいサービスはなく、むしろスタッフの方もフレンドリーに話しかけてくるので、とてもリラックスできるという意味ではやはり極上なのだと思います。

伊豆韮山「江川家住宅」再訪

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三養荘に行った帰りに、江川家住宅に立ち寄りました。以前、一度行ったことがあるのですが、その時は閉館間際でほんの少ししか見れず、もう一度ゆっくり見たいと思っていました。こちらが門をくぐって見える建物正面、メインの入り口ですが、こちら側ではなく、裏側の方が素晴らしいのです。。。
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こちらです。
建物全体に占める土間の占める面積が大きく、全体の1/4以上。
上部が闇に包まれている古民家と違って、
光が差し込んでいるので構造体が浮き上がって見えます。
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見上げると、こんな感じ。素晴らしい!
規則正しく、リズミカルな構造です。

「三養荘」の特別室・初音

今回、私たちが泊まったのは村野藤吾が設計した新館の特別室「初音」。この部屋は文字通り三養荘の数ある部屋の中でも特別なお部屋。平成天皇も10年ほど前、こちらにお泊りにならたそうで、そんなお部屋に平民が泊まっていいものか?と少し恐れ入ってしまいます。
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この長い廊下の先にはあるのは「初音」の一室だけ。
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このさりげない照明が、
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このような美しい明暗をつくっています。「初音」に泊まる人だけのアプローチ空間にある「おもてなし」です。
そして、ここを右に曲がって数段上がったところに、
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ようやく「初音」の入り口があります。扉には竹が埋め込まれています。
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こちらが13畳の広間です。
ところで、和歌の世界では「本歌」「本歌取り」といった言葉があるようですが、日本建築、特に茶室の世界でも「本歌取り」「写し」といった文化があります。以前は、パクリと何が違うのか?と思っていましたが、「本歌」となるのは一流のものですから教養がある人はその本歌を当然知っているのが前提。つまり写す人のセンスを問うものであって、パクリか否かを議論するのはナンセンス。近代以降の日本建築の「本歌取り」の名人と言えば村野藤吾。この三養荘にも「写し」方を学べるところが満載です。
茶室に詳しい方は、この部屋が何の写しかすぐにわかるのではないでしょうか?二畳の床と言えば、、、そうです。「残月写し」です。利休がつくった色付九間書院を小庵によって少し規模を縮めて復興され、のちにそれが「残月亭」と呼ばれるようになったのですが、現在の表千家の「残月亭」は1910年に復興されたもののようです。堀口捨己の八勝館「残月の間」など、日本中に有名な「残月写し」はあると思いますが、村野藤吾にも「残月写し」がたくさんあります。村野流に少しづつ変化していく「写し」を見比べると、村野藤吾の試行錯誤が垣間見えてとても面白いですね。三養荘が遺作ということは、ある意味こちらが集大成ということになると思います。あと、ここの格子の天井は金沢成巽閣の「群青の間」の写しとも言われています。
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この部屋の他に8畳と6畳の部屋があって続き間になっています。
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その外側に入り口から続く広縁がぐるりとあり、その外に庭が広がっています。
これらの部屋とは別に広々とした化粧部屋や内風呂などがついています。
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ゆったりとくつろげる空間です。
畳に座るのが苦手な人には嬉しいスペースかもしれません。
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こちらは茶道口から床を見たところ。一歩中に入ると・・・
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網代天井に黒い金物がありますので、お点前はこちらで。
本歌「残月亭」の一段上がった床に畳が2枚敷いてありますが、
こちらはこのような踏込床になっていて、その先に洞床があります。
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広縁の突き当たりの網代の扉を開けると、こちらに出ます。
円形窓の右側に竹のスノコの月見台があるはずですが・・・・
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竹挟みの濡れ縁と竹のスノコが重なりあう兼六園「夕顔亭」の写しがあるはずでしたが、、、竹のスノコがありません!月を眺める人もいないでしょうし、維持管理が大変なのでしょう。。。
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こちらの部屋には広々とした温泉の内湯もついています。
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遠くに見えるのが、初音のお部屋。この広大な庭も独り占め。
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この小川はこの先の山のから流れていると思っていましたが、
夜はこの流れが止まっていたので人工的なものなのですね。。。
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日が暮れると障子が行灯のようになり、これまた風情がありますね。
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三養荘は村野藤吾の遺作ということは多かれ少なかれお弟子さんが設計監理しいるからか、建築界では桂水園の方が評価が高く有名だと思います。ただ、インテリアや照明の完成度はこちらの方が高いののではないでしょうか?
旅館ならではの「おもてなし」という点では運営はプリンスホテルなので、どことなくホテルチェーンの一つの旅館という印象を受けました。それは京都の佳水園も都ホテル(今や外資のウエスティン)の和室に過ぎないので、以前、泊まった時に同じような印象を受けました。きめ細やかな「おもてなし」をするには、ここは規模が大きすぎですね。何はともあれ、いろんなことをあれこれ考えさせられた貴重な一泊でした。

村野藤吾の遺作「三養荘」に泊まる

伊豆長岡の三養荘に行ってきました。
建築界では誰もが巨匠と認める建築家の村野藤吾。世界平和記念聖堂や日生劇場などたくさんの名作があるものの、丹下健三などと比べて一般の方にはあまり知られていないのではないでしょうか?村野藤吾は近代建築の王道とは距離をとっていたので、今となっては歴史上の大きな文脈に乗らないので存在感があまりないのでしょうね。個人的には吉田五十八、堀口捨己と並ぶ近代以降の日本建築を設計する建築家として大変興味があり、三養荘は前々から見学したいと思っていました。
京都の「桂水園」やニューオータニの庭園内にある「なだ万本店山茶花荘」など村野藤吾が設計した作品にこれまでに泊まったり、食事をしたりしてきましたが、三養荘はそれらより敷居が高いイメージあったので、後回し(?)となっていました。今回は親の長寿のお祝いということで奮発!こんな機会ですから一番良い部屋を予約しました。
敷地面積は約42,000坪、東京ドーム3個分と広大。3000坪の広大な庭は7代目小川治兵衛、通称「植治」の作。元々、ここには三菱財閥の岩崎家の別荘があって、それらは重要文化財にも指定されています。それに加えて、昭和、平成の天皇陛下がお泊りになられた部屋が、庭を取り囲むように建っています。そして、その横の広大な敷地を買い足して、村野藤吾が新館を増築して今の三養荘となったようです。
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まずこちらの広々とした車寄せに到着。ムクリのついた瓦の大屋根が美しいですね。大和、河内の民家に瓦葺きと茅葺きの二つの屋根で構成される「大和棟」と呼ばれるものがありますが、その「大和棟」を本歌とした2段の屋根が村野藤吾らしさの一つです。左側の塀は、南禅寺三門近くの山荘群の一つ「清流亭」と同様の栗ナグリ詰打ち仕上げ。その手前の竹は竪樋です。
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エントラス横の照明。ハート形を崩したような形のこの「猪の目」の文様は、ここ三養荘ではもちろん、村野藤吾の作品のあちらこちらで見かけます。「猪の目」は古くは寺社、江戸時代以降はお茶屋さんなどで下地窓にも使われるようになった文様です。
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扉を開けるとこのようなエントランス空間が広がっています。「忘筌」のように上部だけ障子を入れて、その先の庭も借景とてして取り込んでいます。天井の板をところどころくり抜いて、その奥から下向きの照明をとっています。
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客室は起伏のある広大な敷地に地形に合わせて点在しているので、どこに行くにもかなり長い廊下を移動することになります。「雁行」しながら庭を眺めながら歩くので、次々にシークエンスが変わり飽きることはないのですが、旅館にしてはちょっと規模が大きすぎなような・・・・
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滝があったり、小川が流れていたりと窓の外には様々な風景が広がっています。
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庭の取れないところは、トップライトやハイサイドライトなどを巧みに使い、
明暗を作りながらも、先へ先へと誘います。
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廊下の天井もよく見ると凝っていますね。
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屋根が重なり合うように配置されています。
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こちらはこちらは入れませんでしたが、エントランスを挟んで向かい側にある別棟。今年の秋から会員制の宿泊施設になるようです。村野藤吾が手がけた建物は広大ですね。
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庭は明治の庭師、7代目小川治兵衛「植治」によるもの。「植治」と言えば、京都の無燐庵や平安神宮などの庭で知られていますが、それらの庭と比べるとこちらの庭は今一つハッとするようなところはなく、恐らく植治晩年のものでお弟子さんがかなりメインだったのでしょう。
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「植治」の庭の周りには、三菱財閥の岩崎家の別邸が数棟配置されています。
文化財にも指定されている重要な建物で、こちらにも泊まれます。
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本館の入り口はこのような感じ。
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そして廊下です。
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こちらの明治期の古典的な和風建築と比べると、村野藤吾の新館が近代以降の和の解釈をしていることがよくかわかります。
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庭の高台に四阿。ここから、三養全体を一望できます。
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こちらは宿泊客以外の方も入れるラウンジ。
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天井は村野藤吾らしいデザインですね。

春の越前を駆け抜ける

福井県はやや存在の薄い県の一つだと思いますが(すみません!)、
古くは北前船の湊町として、今は越前ガニの漁港として知られる三国や、
越前和紙、鯖江のメガネ、コシヒカリといった日本一のものも多く、
意外にも(?)存在感のある県ですね。
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金沢からレンタカーで最初に向かったのが東尋坊。
なぜかサスペンスドラマの舞台によくなるところですが(笑)、
マグマからできた火成岩の一種の輝石安山岩が柱のような状態で、
約1キロ広がっている素晴らしい風景です。
ここ以外にはノルウェーと朝鮮半島くらいしか見られない珍しいものらしい。
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その後、少し車で南下して三国港エッセル堤へ。
土木学会選奨土木遺産というものにもなっているようですが、
オランダ人工師エッセルが設計した明治初期を代表する港湾施設で、
東尋坊の石でできるようです。
釣りをしている人がいましたが、観光している人は誰もいません(笑)。
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そして、三国の中心部の旧森田銀行本店へ。
こちらは大正9年(1920年)に建てらた国の登録有形文化財。
こちらの改修工事は大学時代の友人、林田君が関わったようです。
彼は大学卒業後、ずっと地元で設計していますが、いい経験をしていますね。
この建物の細かなところ見ていると三国が豊かだったことが伝わってきます。
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そして、旧岸名家住宅へ。
ここも三国の繁栄の象徴的な建物です。
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北前船に乗せた三国箪笥、豪華な三国仏壇なども置いてありました。
三国箪笥の説明を聞いていると・・・「ブラタモリ」で見たような(?)。
聞くと、、、、やはり出たようです(笑)
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防犯上、夜はこのように締めていますが、
ロープを引いて重い大きな扉を開けると・・・・
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このようになります。
床は「笏谷石(しゃくだにいし)」と言って非常に高価な石で、
床全面に敷き詰めているのは豪商の証らしい。
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「笏谷石」のアップはこんな感じ。美しい石ですね。
そして、急ぎ芦原温泉「つるや」へ。
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次の日、昼前に芦原温泉を出発して、大瀧神社へ。
藤森照信氏によると「日本の屋根は最後にここに行き着いた」とのこと。
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日本一複雑な屋根の社寺とのことですが、
なぜここまで複雑にしなければいかなかったでしょうね?
檜皮葺は文字通り薄いヒノキの皮を少しずつ重ね合わせて作るので、
材料調達も含めて本当に気が遠くなる仕上げです。
ただ、このカタチは檜皮葺だからこそできるのでしょうね。
藤森さんの言うように確かにここが終着点なのでしょう。
檜皮葺の伝統技術の素晴らしさを感じながらも、急ぎ坪川家住宅へ。
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小さな写真だけ見るとどこにでもあるよくある民家のようにも見えますが、
移築されたり、博物館になっていたりしていない立派なものです。
昭和43年に別棟を建てたとは言え、まだ現役。
その当時は周りも茅葺き屋根だったらしいのですが、今はここだけ。
日本の原風景のような桃源郷のような場所に建っています。
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土間の力強さか、囲炉裏の火か、暗闇の天井か、静けさか、
何がそう思わせるのわかりませんが、地霊のようなものを感じました。
格式の高さのようなものめ感じたので、どのような方の住まいか尋ねると、、
「北面の武士」の末裔の格式の高い旧家とのこと。。。
やはりこの集落の中では別格だったらしい。
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金沢、芦原と新鮮で美味しい海の幸をたくさんいただきましたが、
最後の食事はこちら。谷口屋の油揚げのステーキ。
写真でこの大きさは伝わらないかもしれませんが、かなり巨大です。
そして、福井といえば越前蕎麦。おろし蕎麦も最高でした!
坪川家住宅のすぐそばで、「谷口屋」の看板の方が頻繁に案内が出てきました(笑)。
かなり有名で遠方からわざわざ食べにくるようですね。
棚ぼたで美味しい食事にありつけてラッキーでした。

平田雅哉の「つるや」に泊まる

今回の北陸の一番の目的は芦原温泉の「つるや」の見学。
先月、熱海の「大観荘」に行き、他の平田雅哉の数奇屋建築も見たくなり、
気がつくと、はるばる福井芦原温泉まで来てしまいました。
北陸新幹線が金沢より先に延びると、一気に東京からも近くなりますね。
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泊まったのは「吉兆」というお部屋。
平田雅哉が最も気に入っていた部屋ということで、この部屋を指定。
チェックインからチェックアウトまで、
可能な限り(それ以上?)どこにも出ずにずーとこの部屋にいると、
平田雅哉のデザイン意図が色々と伝わってきます。
やはり堀口捨己や村野藤吾といった建築家の数奇屋と、
大工の棟梁の数奇屋は違うんだなあと思いながら、のんびりと寛ぎました。
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「吉兆」の入り口横の透かし彫り。
枠はシャープに見えるように「刃掛け」の枠なしの納まりとなっています。
私たちも左官の「刃掛け」の納まりは多様していますが、
柱や枠がある中で枠なしのところをつくとその意思を強く感じます。
水平の垂直の線(枠の見付けなど)を上手く使って空間に変化を与えているのですね。
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「大観荘」にはアクリルを使った斬新な(?)ディテールがありましたが、
こちらにも同じようなデザインがあちらこちらありました。
こちらのストライプの入った壁も少し普通と違った趣きです。
近づいてみると、、、
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V目地のところをシルバーに塗って表情を作っています。
住宅の規模だとちょっと気になるディテールですが、
この規模の暗がりではいい感じですね。
今見ると、今一つかなあと思うデザインもチラホラありますが、
失敗を恐れずトライし続けた数奇屋大工に脱帽です。
チェックアウト後、他の部屋も見せていただきました。
見せていただきたかったお部屋は「観月」と「大観」でしたが、
運よくどちらも空室で二室とも見せていただきました。
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こちらは「観月」の月見台。栗の木を手斧でなぐり仕上げの手摺です。
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そして、大観の間。突き当たりの障子を閉めると・・・・
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ザ・  平田雅哉です。
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アップしてもやはりこの障子は美しいですね。
「大観荘」と「つるや」と平田雅哉の作品を二つ見ると、だいぶ分かってきました。
次に泊まりに行くなら、村野藤吾の「三養荘」かなあ?
未知なる数奇屋の世界は、どこまでも深いですね。

成巽閣「清香軒」

北陸新幹線、かがやきで春の北陸へ行ってきました。
かがやきで長野までは何度か乗ったことがありますが、
東京-金沢間がたったの2時間半。大宮の次は長野、そして、その次は富山。
ひと昔前は東京長野間と言えば3時間でしたよね。
そんな話をするのはお爺さんネタですかね(笑)。
横川-軽井沢間を1時間かかっていたのが懐かしい気もしてきます。
信州は遠く、さらに一山超えて北陸、それはそれで良かったような・・・
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車窓から妙高や立山が見えましたが、、、、
こんな風景もあっと言う間に通り過ぎてしまいます。
ところで、金沢には数回来ていながら成巽閣を見学するのも今回が初めて。
成巽閣と言えば天井がウルトラマリンブルーで塗られた「群青の間」、
他にも「つくし縁」、「謁見の間」など見所は満載。
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撮影が許可されているのは庭だけなので、庭を撮りながら・・・・
こちらは木造の伝統構法の桔木を使った20m無柱の「つくし縁」。
ところで、このアングルの写真はOKだったのかな?(笑)
見上げると・・・・
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野地が凝っていますね。こんな感じに、かなり密度の濃い建物です。
今回、非公開の清香軒、清香書院、飛鶴庭の見学を事前申し込みしていたので、
誰もいない静かなところで特別にそれらを見学できました。
「清香軒」は雪の多い北国らしい内露地のある茶室で、特に素晴らしかったです。
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非公開エリアも撮影不可でしたが庭のみ撮影可ということで、
残念ながら写真は建物はひかりつけした柱と庇のみです。
兼六園に行くなら成巽閣にも絶対に行くべきですね。
そして成巽閣に行くなら清香軒は必見。
きちんと事前に予約していかないと見れませんので要注意です。
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その後、谷口吉生が設計した鈴木大拙館に立ち寄り、しばし瞑想。
仏教哲学者の記念館で、竣工してすぐの頃に一度来たことがありますが、
ガイドブックにも載っているからか、以前より人が多く外国人もちらほら。
その混雑にも関わらず、騒いではいけない雰囲気があってとても静かでした。
金沢美術館を横目に、満開の桜が咲く金沢城を通り抜けて近江市場へ。
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ただ通り抜けるつもりが、立派な石垣が目に止まり・・・
こちらは2001年に復元された菱櫓・五十間長屋。
木造軸組工法で復元されていて内部も一応見ておこうと入館。
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予想以上に充実した建物に関する展示もありました。
屋根がグレーが一般的な瓦とは少し趣が違うと思っていたら、
このように木製で作られた屋根に鉛の板で覆われているとのこと。
瓦にせずにこのような屋根にしている理由の一つに、
戦時には鉄砲の弾にするためとも言われているようですが、
はっきりしたことはわかっていないようです。
そして、いよいよ近江市場で夕食。海の幸を堪能しました。

平田雅哉の大観荘

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以前から泊まってみたいと思っていた「大観荘」に行ってきました。
ご存知の方も多いと思いますが、国内外の著名人も泊まっている熱海の老舗旅館。
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宿泊した部屋はこちらの「大観の間」。横山大観、谷崎潤一郎といった面々が
この床の間を背に映った写真が部屋に飾ってありました。
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「大観の間」は錦鯉が泳ぐ池、あたみ桜と梅が咲く龍居松之助の庭に面した部屋で、
戦前は鉄鋼で財を成した中山悦治の別邸(1941)。
ただ今回の宿泊の目的は数寄屋大工の棟梁、平田雅哉の作品を見ることでした。。。
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フロントで平田雅哉が手がけた部屋を可能な範囲で見せていただきたいとお願いし、
しばらく部屋で庭を眺めながらお茶を飲んでいると、わざわざ支配人がお部屋に・・・
とても丁寧に旅館の歴史から説明をしていただきました。
「大観の間」にどれだけ平田雅哉が関わっているかわからないとのことですが、
平田雅哉の作品集に本館2階「松風の間(1949)」が掲載されていたので、
1階「大観の間」も多かれ少なかれ改装してしていることでしょう。
ところで、本館は村野藤吾が関わっていたようです。
旅館の方々も本館は他の建物と趣が違うと前々から思っていたそうですが、
ある時、京都工繊大の村野藤吾の研究グループがやって来て、
その時、村野藤吾が大観荘に関係しているという事実を知ったそうです。
図面を見せていただくと、確かに「大観の間」あたりは全く同じ間取りなので、
確かに多かれ少なかれ村野藤吾が関わっていたようです。
村野藤吾と平田雅哉。
二人は親交は深かったようですが、「大観の間」ではどこが村野藤吾で、
平田雅哉がどこを改装したのかを探すのも楽しみ方の一つかもしれません。
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そして、本館と平田雅哉(後に平田建設)が増築した棟をつなぐ渡廊下(1966)。
竣工当時から手を入れていないので正真正銘の平田雅哉のオリジナル。
支配人によると、南館(1951)と西館(1971)に、
最も平田雅哉らしい部屋が残っているとのことで、
お客が来る前に可能な範囲でいくつもの部屋を案内していただきました。
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南館「井筒の間」の「上尾の間」の障子は、縦桟がアクリルの斬新なデザイン。
遠くから見ると横桟だけに見えるので、横に伸びやかに見えますね。
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ただ、素材の違いが相性があまりよくないのかもしれません。
若干のソリやワレもありますが、気にしないので是非、残して下さい!
平田雅哉は大工の棟梁ですが、設計にも力を入れていたそうでそうで、
施工とメンテナンスまで全て自分でやるからこそできるデザインがあちらこちらに。
間取りもデザインモチーフも部屋ごとに全て違っているので、
今となっては維持管理はとても大変だと思います。
そのあたりは一般の方にはわからないのですが、苦労されていることでしょう。
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この部屋は角をとって漆を塗っていますが、
その反対に全体は漆を塗って角だけ木の素地を見せている部屋もあります。
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そして、格子の交点に特徴がある「相生の間」の障子。
単なるデザインというだけでなく、補強にもなっていると思います。
この障子は「西村屋」などの他の旅館でもアレンジされて使われていますね。
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こちらは西館の「青柳の間」は、部屋に入る手前にこちらの衝立があります。
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こんな感じに障子を開けることもできるようです。
コンクリート造の建物に数奇屋造りの部屋が入っていて、
天井は入口の高さは抑えて、奥の部屋の方に向かって高くした勾配天井。
階高は高く、天井懐がかなりあるので天井の自由度は高いのですが、
上の階の設備配管がスラブを貫通して天井懐内を展開させているので、
メンテナンスは大変とのこと。一般的にはメンテナスを優先しがちですが、
優先順位を変えるからこそできるものもあるのかもしれません。
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なるほど。こうなっているのですね。勉強になります。
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斜面に沿って建物は建っていて、奥へ奥へと誘う階段ですね。
手前が木造の南館で、階段の先がコンクリート造の西館。
全くバリアフリーではないので、宿泊客からお叱りがあって困っているそうです。
切妻天井、照明や開口部、そして細かな線部材が伸びやかさを感じさせますね。
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反対から見ると切妻のセンターが絶妙な位置にあって、
階段沿いの水平ラインに同化させています。。。素晴らしい!
パースを描いて施主にプレゼンまでしていたようで、
空間の作られた方がどことなくそんな雰囲気を感じます。
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様々な部材を組み合わせながら、全体をまとめています。
5、60年前の建築家ではなく、大工の棟梁がデザインしているのですから脱帽です。
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竣工当時、恐らく出始めた新素材のアクリルを使った壁の一部。

水を表現しているのでしょうか。今見ても斬新です。
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これぞ和モダン。数寄屋大工の棟梁という枠を超えています。
今回は支配人にご案内していただき、
長時間お話させていただきとても濃密な時間を過ごすことができました。
本当にどうも有難うございました!
平田雅哉の建物を見たのは今回が初めてでしたが、
福井芦原温泉の「つるや」、城崎温泉の「西村屋」「新かめや」など、
まだ現存する旅館があるようなので、近々に行ってみようと思います。